震災・福島原発事故から14年 「仕事も生活も事故前には戻らない」
東日本大震災後の東京電力福島原発事故から14年が経過した。政府が原発を「最大限活用」する方針へと180度転換させたことに、批判の声が広がっている。震災当時、福島県双葉町の双葉厚生病院に勤務していた遠藤純子さん(現在は厚生連鹿島分会・南相馬市)に話を聞いた。
インタビュー
遠藤純子さん 双葉厚生病院労組双葉分会分会長
最初の揺れを感じたときは入浴介助中で、立っていられないほどでした。
災害支援ナースとして原発事故を想定した訓練を受けていたため、翌12日未明の「冷却機能喪失」のニュースで、これから何が起こるかが予想できました。
防護服の警官が病院に来て「いますぐ避難を」。地震や津波の被害状況もわからないなか、生存率が急激に低下する72時間にはまだ時間があり、院内では「助けられるのに避難するのか」という協議が続けられました。明け方に捜索が打ち切られていたことはその後知りました。
原発が爆発、町外避難
12日の午後、自衛隊のヘリで避難することになり、患者を近くの双葉高校に搬送していたところ、福島第一原発1号機が水素爆発しました。体が一歩後ろに下がるような衝撃があり、「終わった。被曝してしまったからには、双葉町から外には出してもらえないだろう」と思いました。予想とは裏腹に、二本松市の施設に輸送され、「初の被曝者」と報道された13人の一人になりました。
やっぱり家に帰りたい
震災後4回の引っ越しを繰り返し、根無し草になってしまいました。今は職場も住むところも落ち着いてはいるものの、多くの同僚は避難したきり全国各地に散って、連絡が取れなくなってしまいました。やっぱり家に帰りたい。毎年3月11日は家から出ず、震災の特集番組を見て、双葉の仲間のことを考えています。
原発そのものは、クリーンエネルギーと理解しています。しかし、事故後何度も「想定外」という言葉を聞きました。原発を続けるのであれば二度と「想定外」と言うなと言いたい。それだけの危険物。対策も取れないのに、「最大活用」というのはおかしいです。

2011年3月11日の避難指示地域(図は全労連新聞編集部作成)
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