【月刊全労連・国際のページ】欧州最後の分断都市 キプロスのニコシアで考えた
9月中旬に建交労と国土交通労組の代表と、キプロスの建設労働組合を訪問しました。両労組とキプロスの建設労働組合は同じ世界労連建築インターの加盟組織で、今回2国間の交流を深めることを目的に訪問しました。キプロスは人口120万人弱。四国よりやや狭い面積の地中海東側の島国です。日本とキプロスは縁の深い国とは言えませんが、建設労働組合の交流は深く、また全労連と全キプロス労働組合連盟(PEO)との交流もあります。
キプロスは現在EUに加盟し、通貨はユーロを使用。地理的には北に100キロほどでトルコ、同じく東にはシリアやヨルダン、南に380キロでエジプトという位置にあり、欧州であると同時にアジアや中東とも地理的にも、歴史的にも関係があります。そして南東に300キロほどにはパレスチナのガザ地区があります。10月7日にはパレスチナのハマスがイスラエルを大規模に攻撃し、その後のイスラエルによるガザでの虐殺が始まって一年です。今回の滞在中も、イスラエルの蛮行の影響を感じることが多くありました。
分断国家キプロス
キプロスは前述のような地理的位置にあることから古くはギリシャ、ローマ帝国、プトレマイオス朝エジプト、ペルシャ、オスマントルコなどの支配下にあったこともあります。ロシアとトルコの戦争の終結後、イギリスが1878年のベルリン条約で管理権を得ています。イギリスは中東支配の基地としてキプロスを位置づけており、イギリス帝国主義の一環に組み込まれた形です。第一次世界大戦が起こり、オスマン帝国が同盟側につくと、戦後イギリスはキプロス併合を強行し、1923年に直轄植民地としています。
キプロス島はイギリス帝国主義の西アジア支配の拠点でしたが、第二次世界大戦後、キプロスのギリシア系住民(80%)が、ギリシア正教のマカリオス大司教らの指導でギリシアへの統合を主張し、イギリスと対立、1955年には暴動が起こります。イギリスはキプロスのギリシア統合は認めず、独立を認める代わりに軍事基地2ヵ所を確保し、1960年にキプロス共和国として独立。キプロス島の南部のアクロティリとデケリアには広大な英軍基地があり、「イギリス主権基地領域」としてイギリス軍が現在も使用しています。現在もキプロス共和国は返還を求めているが、イギリスは応じていません。
キプロス紛争から分断へ
キプロスには約20%のトルコ系住民が存在し、ギリシア系住民との間で64年、67年に武力衝突が発生しました(キプロス紛争)。さらに1974年、ギリシアの軍事政権がキプロスに介入したことに反発したトルコが出兵し、北キプロスを占領。トルコの占領は続き、83年には一方的に「北キプロス・トルコ共和国」独立を宣言しました。
このようにキプロスは南北で分断されましたが北キプロスを国家承認したのはトルコのみで、国際的な承認は得られていません。キプロス共和国はトルコ以外のすべての国から承認を受けていますが、キプロス島の北半分は実効支配できていません。南北の境界線上には国連が設定した緩衝地帯(グリーンライン)が置かれ、国連の仲介で両者の話し合いが断続的に行われています。2004年5月のEU加盟は南部の「キプロス共和国」のみとなりました。

分断の現実
首都ニコシアの旧市街を歩くと、突如壁が目の前にあり「国境検問所」があります。同じ建物が、緩衝地帯の境界を跨いでいることもあります(写真参照)。分断前は商店などが集まり賑わっていたといいますが、今は小規模な家具工場や倉庫街となっていて、一部を除いて人の気配もありません。ところどころにキプロス軍、国連軍などが機関銃を構えた監視小屋があり、以前は別の用途だったはずの建物もキプロスの軍の駐留施設になっていました。
一部物々しい雰囲気の緩衝地帯から数百メートルのところにニコシア市役所があり、人びとは普通に暮らしています。国家承認はされていないものの、双方の住民は登録すれば時間制限付きで行き来も可能です。南側にはギリシャ正教の教会があり、北キプロス側にはイスラム教のモスクがよく見えます。
しかし上の写真にあるように、旧市街の建物の壁には悲しい分断の現実を描いた絵も見られます。キプロスのナショナルセンター PEOの国際部長、ピエリさんは現在58歳。紛争時に8歳で、ギリシャ系住民でしたが両親と一緒に北部から南部に家や家財はそのままに逃げてきたといいます。その後父は亡くなり、今北キプロスに残してきた家や土地については詳細が全くわからないといいます。今から戻るといっても、キプロス側での暮らしも家族もあるからそう簡単ではありません。それは北キプロス側も同じだと思うと教えてくれました。

分断克服の努力
トルコ語が中心でイスラム教徒が多かった北部キプロスと、ギリシャ正教徒が多くギリシャ語を話す住民の多い南部キプロスですが、以前は同じ地域に混じり合って暮らしていました。現在でも南部地域にトルコ系のモスクの跡地は多く残されています。また建設現場を訪問した際も、ギリシャ系、トルコ系とそれ以外の地域からの移民が一緒に仕事をし、一緒に組合活動をしていることも印象的でした。
キプロス建設労組に話を聞くと、移民労働者が増えており、最低賃金や労働時間の決まりなどはギリシャ語、トルコ語、英語、アラビア語で表示させ、ポスターやチラシも4言語で配布しているといいます。またナショナルセンターレベルで北キプロスの労働組合と交流しているといいます。職場で同じように働き、同じように連動を進めることが分断克服の道と考えていることがよくわかりました。
キプロスと日本の共通点
キプロスの労働組合との交流では、日本の運動が掲げている核兵器廃絶や平和憲法を守る課題への支持と共感が寄せられます。
前述のようにキプロスにはイギリス軍のデケリア、アクロティリという大規模な軍事基地があり、またキプロス最高峰のオリンポス山の山頂には英軍のレーダーが設置されています。外国軍事基地が国内にあることは日本と共通です。独立の際にイギリス軍に加え、ギリシャ軍3000人、トルコ軍3000人の島内駐留を認めたことが、大国の意向に左右される現況に繋がっています。
レーダー基地は目前の中東だけでなく、ウクライナを侵略するロシアの監視にも利用され、レーダー機能が強化されているといいます。日本の労働組合同様、キプロスの労働組合も外国軍事基地撤去の連動に取り組み、50年になるトルコの北部占領による分断国家の解消にも取り組んでいます。大国主義や覇権主義とたたかい、本当の意味での独立を勝ち取ることの意味は、キプロスと日本に共通の課題になっていると実感しました。
(全労連事務局次長 布施恵輔(全労連国際委員会))
(月刊全労連333号 2024年11月発行)
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