【月刊全労連連載】 いっちょかみが行く職場や労働組合の仲間との交流に励まされて(2025年5月号)
第4回目となる今回は、支部の役員として経験してきたことをお話しします。はじめに、わたしが支部の役員となったのは、1985年だったと思いますが、支部執行委員から始まって、財政部長、書記次長を経験し、1997年に書記長となりました。なお、支部書記長を降りた2002年以降は派遣役員として活動することが中心になりました。
分会オルグで鍛えられる
支部執行委員の任務として、年2回の分会オルグをこなすことが求められました。執行委員になってすぐ、まだまだわからないことが多かったのですが、とにかく分会に送り込まれます。送り込まれた分会では、支部の方針についての概略を説明し、組合員の要求を聞き取ります。
当時の職場は組合への加入率が99%でしたが、組合に対する強い批判を行う人が必ず存在していました。批判の中心は労働戦線に関することでしたが、毎年のように値上げされる組合費に対する批判も多くありました。それでも、粘り強く意見を聞き取り、要求を取りまとめました。なお、要求は、分会、支部、本部など、交渉相手の権限に応じて取り扱うべき組織に整理していました。いまにして思えば、オルグに入った職場の組合員のみなさんは、若手を育てようという感覚で接してくれていたように思います。職場の未来を担う職員として、「頑張れよ」という優しさがあったのでしょう。オルグが終わってから、たくさんのねぎらいをもらいました。また、仕事で再会したときに気さくに声をかけてもらえたことは嬉しかったです。
全労連に結集する
1987年頃からだったと思いますが、総評が解体され、新しいナショナルセンターができるという中央の動きが伝えられ、どちらに入るのか選択が迫られました。中央での議論は、全労連への加盟を選択するというものでしたが、その選択について、組合員に説明し、圧倒的多数の賛成によって加盟を決めるという方針に基づき、ひとり一人の組合員と膝詰めでの議論を行うことが提起されました。
ただでさえ、分会オルグでも厳しい意見をきいていたのですから、重い任務です。かなりの厳しい意見をききながらも、最終的に圧倒的多数の組合員の賛同を得ました。その結果を受け、本部大会で新たなナショナルセンターとなる全労連への加盟に賛成する意思を表明し、本部大会でも圧倒的多数で承認されました。労働戦線の選択という歴史的な出来事に関われたことは、人生にとっても大きな経験でした。なお、全労連の結成と同じくして結成された兵庫労連の結成大会に参加し、熱気に包まれたことを思い出します。
手書きの機関紙
仕事でも組合活動でも、とにかく関わっていないと気が済まない「いっちょかみ」のわたしは、書記長をやりながら機関誌の発行も担当していました。当時の支部では、5種類の機関誌を発行していましたが、わたしが担当したのは「支部速報」です。定期発行の機関紙などは他の役員が担当し、支部速報は交渉の経過や労使協議の内容などを伝えるものとして発行していました。
速報という以上、即時性が求められます。特に交渉の内容は、できるだけ早く伝えなければなりません。交渉が終われば直ちに速報づくりです。いまのようにパソコンはありません。ワープロもまだありません。原稿は手書きです。その手書きした原稿を印刷する機械は、リソグラフでした。この機械には長い間たいへんお世話になりました。
当時はもちろん片面しか印刷できませんので、両面印刷するには、片面の印刷を終えてから、もう片面の印刷を行っていました。インクがしっかりと乾かないと紙がくっついてしまうので、手間がかかりました。原稿は手書きですから、次々と印刷される自分の字の下手くそさを感じながらも、誰もが読めるようにがんばって書いたものです。
モグリと言わせる
書記長であった頃の支部は、組合員がおよそ1000人いました。共済の手続きなどにも関わっていたので、ほとんどの組合員の名前を覚えていました。
それだけでなく、すべての分会にオルグにいきましたので、書記長として活動している期間に顔を合わせなかった組合員はほとんどいなかったはずです。そのため、書記長を知らない組合員は「モグリ」と役員に言わせていましたが、ちょっと鼻につく態度だったかもしれません。
組合員の身内にご不幸があれば、葬儀か通夜のお知らせも届いていましたので、組合の代表として参列していました。組合員本人が亡くなったことも何度かあります。そのときに遺族と顔を合わせるのは本当に辛かったです。
組合員からの相談や出来事は多岐にわたります。ここでそれを書くことはできませんが、他の役員と相談しがたいことも多く、書記長を経験すると「10円はげ」ができたなど、役員としての悩みが多かったというのも当然だと感じたものです。
ふりかえって
あらためてふりかえると様々なことが思い出されます。失敗も多かったのですが、楽しかったというのが一番でしょうか。それもこれも、たくさんの人と、そして職場や労働組合の仲間との交流で励まされてきたからです。
組合の会議に参加して、他の職場のとりくみを聞くと参考になることが多くあります。また会議の後の交流で意見交換することで、元気づけられることもありました。オンラインの会議ではなかなかできないのが個別の交流です。オンライン会議は便利ですが、対面での交流には勝てない一面です。できる限り、対面の機会を作れるようにしたいものです。
(月刊全労連2025年5月号 通巻339号)
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