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希望に輝く未来への新たな一歩を
全労連結成25周年記念集会を開催

 

 全労連は11月22日、結成25周年記念集会を東京・渋谷のフォーラムエイトで開催しました。「希望に輝く未来のために」と歩み続けた9125日を振り返るとともに、全労連の飛躍的前進をつくる展望を語り合いました。
 集会はフルート四重奏「カルテット メロウズ」の華麗な演奏で幕をあけました。
 小田川義和議長の主催者あいさつの後、醍醐聰東大名誉教授による「日本社会の現状と全労連運動への期待」と題したミニ講演、シンポジウム「『一点共同』から安倍『暴走政治』ストップへ?国民的共同をどうつくりあげるか?」を井上久事務局長をコーディネーターに、反原連のミサオ・レッドウルフさん、NPO法人アジア太平洋資料センター事務局長の内田聖子さん、自治労連書記長の中川悟さん、道労連議長の黒澤幸一さんでおこないました。

主催者あいさつ

結成25年、全労連の飛躍的前進をめざして

2014年11月22日
全国労働組合総連合
議長 小田川義和

写真 全労連結成25年目の記念集会に、組織の内外からご参加いただきました皆さんに、心からのお礼を申し上げます。
 この25年間、時には厳しいお言葉も頂戴しながら、私どもを励まし続けていただいた友誼団体や有識者、マスコミの皆さんをはじめ、全労連にかかわっていただいたすべての皆さんに、重ねて感謝を申し上げます。
 また、各単産、地方組織の皆さん、全労連役職員の諸先輩には、様々な厳しい情勢のもと、困難を乗り越え、ご奮闘いただきました。ともに、25年目のこの日を喜び合いたいと思います。

 さて、昨日、衆議院が解散され、12月14日投票で総選挙が実施されることになりました。まさに激動する情勢のもとでの記念集会となりました。
 安倍首相は、すでに失敗が明らかな経済政策、アベノミクスへの信を問うことが総選挙の目的だと言っています。
 しかし、総選挙で私たちが問うべきはそれだけではありません。
 安倍政権がもくろむのは、憲法を壊し、戦後民主主義を否定して、強権国家に後戻りさせると言う、歴史の針を後戻りさせる日本社会への暴走です。
 その当面の具体策の一つが、「戦争する国」づくりです。今年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定に象徴される動きは、憲法9条の実質改憲であり、保守層の中でも矛盾が拡大しています。その矛盾が表面化し、安倍政権の暴走にノーの県民意思を突きつけたのが、11月16日の沖縄県知事選挙の結果ではないでしょうか。

 いま一つが、「企業が世界で一番活動しやすい国」づくりです。
その中で、生涯派遣労働者をつくりだす労働者派遣法改悪や、残業代ゼロ制度の「新たな労働時間制度」など、労働者保護の基本を規制緩和しようとしています。企業のための社会は、労働者のくらし、権利を侵す社会であることへの批判が高まる中、この臨時国会では労働者派遣法改悪法案を廃案に追い込みましたが、財界や政府は攻撃を一切緩めていません。
 労働者の雇用の不安定化をすすめる一方で、年金、医療、介護などくらしの基盤を支える社会保障制度の全面的な改悪も進められています。消費税増税の一方での法人税減税も合わせ、税と社会保障による富の再配分を良しとしない、大企業、富裕層の求めに応じた政策であることは明らかです。
 憲法25条などの社会権の実質改憲であり、格差と貧困を深刻化し、日本経済の持続可能性を阻害することは明らかです。

写真 今回の総選挙では、福島原発事故の収束の目途も立たず、被害者救済も進まない中でも原発の再稼働に躍起になっていることも含め、大企業のための政治か、国民、労働者のくらし、いのち最優先の政治か、戦争する日本か、9条を守り抜く日本かの選択が問われています。
 この国の明日の進路の選択、行き詰まりが明らかな自民党型政治への批判を形にしなければならない歴史的な意味を持つ選挙です。

 集団的自衛権行使容認の閣議決定にも、原発再稼働にも、6割以上の国民が反対の声をあげています。憲法改正を許さない確固とした意思を組織し、80年代から続く新自由主義構造改革と決別する転機をつくりだす構えで総選挙をたたかえば、政治と、経済の流れを変えることができる情勢です。
 最初に、労働者、国民と財界・政府との激しいせめぎあいの中で迎えた結成25年目の情勢を、攻勢的なたたかいで切り開く仲間の皆さんの奮闘を心からよびかけます。

 全労連結成の前史である統一労組懇の時代から、私たちは、政府・財界との激しいせめぎあいのなかで、労働者の雇用と権利を守り、日本労働運動のたたかいの伝統を引き継ぎ、すべての労働者の統一の母体となることをめざしてきました。
 節目の集会ですので、簡潔に、たたかいの足跡をふりかえりたいと思います。

 全労連結成の基盤となった統一戦線促進労働組合懇談会・統一労組懇は1974年12月に結成されました。
 その当時の状況は、1974年春闘での賃上げ率32.9%という成果を半日以上のストライキ件数5200件というたたかいでかち取り、日本の労働運動は戦後最高の高揚期にありました。このことに危機感を抱いた、財界は直後から賃上げ抑制の動きを強めます。

 この財界の動きに呼応するように、民間大企業労組を中心とする労働戦線統一の動きが顕在化し、1979年には当時の総評が「労働戦線統一の民間先行容認」を決定します。
 おりしも、1973年のオイルショックを契機に高度成長政策が破たんし日本経済は低成長時代に移行して、富の配分をめぐるせめぎあいが激化し始めていました。
 また、1976年のロッキード事件で表面化した金権政治に対する批判が、自民党一党を揺るがし、革新自治体が相次いで誕生して、人口の43%が革新自治体に居住するという政治状況となっていました。

 統一労組懇が、このような政治、経済の激動の中で誕生したことは決して偶然ではありません。
 1980年代に入り、今に続く新自由主義構造改革、行政改革が開始されます。それは、大企業に富が集中する仕組みづくりであると同時に、当時、最強の労働組合であった国労をはじめとする公務労働組合つぶしであり、総評解体につながる攻撃でもありました。
 1982年に、「臨調答申の完全断行」、「日米安保体制の堅持」などを「踏み絵」とする民間先行の労戦再編、全民労協が発足し、1987年に現連合の母体となる民間連合が結成されたことと、同じ年に国鉄分割民営化が強行されたこととも無関係ではありません。

 このような中で統一労組懇は、1980年に独自春闘を開始し、すべての都道府県での地方統一労組懇を結成し、国鉄分割民営化反対闘争・臨調行革反対・規制緩和反対などの要求にもとづく統一闘争を提起して全国闘争を積み上げてきました。たたかいながら、ナショナルセンター機能の整備、強化をすすめ、ボトムアップで全労連結成を迎えたのです。

 1989年11月21日 全労連は、27単産・41地方組織・140万人が参加し、「資本からの独立」、「政党からの独立」、「共通の要求での行動の統一」の三原則で結集し、日本の労働運動の積極的なたたかいの伝統を継承発展させ、働くものの利益・権利擁護、平和と民主主義、社会進歩のためにたたかうこと、すなわち経済闘争と階級闘争を両輪でたたかうことを確認して結成しました。
 結成時は、1989年6月の中国・「天安門事件」、11月のベルリンの壁崩壊など、社会主義をめざした国での変化もあり、「資本主義勝利論」が強まっていました。そのこともあり、政府や財界、一部の労働組合幹部からは「たたかうナショナルセンターは時代遅れ」などの大合唱が行われ、これらの人々からは歓迎されない中での全労連の結成であったことは事実です。

写真 結成後の全労連は、バブル経済の崩壊、イラクのクウェート侵攻で始まった90年代前半、国民春闘の再生や労働時間短縮闘争などを軸に、要求闘争を強め、その存在を社会的に広げました。
 1990年1月、国民春闘共闘委員会を純中立労組懇の仲間とともに発足させ、「カローシ」(過労死)が社会問題となる中、92年春闘では人間回復署名に取り組み、94年実施の週40時間労働制の労働基準法改正につなげました。
 92年春闘からは、大企業の内部留保を告発するビクトリーマップ運動を開始し、今に続けています。
 1995年1月に阪神淡路大震災が発生します。この巨大災害の救援、復旧に全労連は対策本部を設置して取り組み、生活再建への公的補償を目的とする「被災者生活再建支援法」の成立につなげました。

 一方、政府・財界は、バブル経済崩壊のツケを国民収奪の強化で乗り切る攻撃を強め、1995年には日経連が「新時代の『日本的経営』」を発表し、以降、労働法制の規制緩和が連続する状況となります。
 また、経済のグローバル化対応、大企業の海外進出が強まり、日米安保体制再強化が進む90年代後半を迎えます。
 全労連は、全商連、新婦人、農民連と共同した「くらしを守る全国キャラバン」を1996年春闘で実施し、1997年には総対話と共同の実践、「10万人オルグ大運動」を提唱するなど、共闘前進に本格的に挑戦しはじめました。

 また、賃金要求でも平均賃上げ方式から「最賃・底上げ」重視の賃金要求案を提起し、増え続ける非正規労働者にも焦点を当てた要求闘争に力点を置くこととしました。
 さらに、政府が、財界要求に応えて労働者派遣法改悪など労働法制の規制緩和を強めるもとで、2000年にはパート・臨時労組連絡会を結成し、たたかいを強化しました。

 2001年1月に中央省庁再編が行われ、小泉内閣のもとで構造改革が強まります。
 2001年9月にアメリカで同時多発テロが発生し、ブッシュ政権による「テロとの戦争」が開始され、これに協力するためのテロ特措法などが強行されます。この動きも契機に、憲法9条改定の動きが一気に強まります。
 全労連は、2002年春闘で、「構造改革」に反対して統一ストライキを実施し、2205職場でのストライキ、1600カ所での行動に83万5000人が結集するという状況をつくりだしました。

 また、2004年6月に「9条の会」が結成されたことも受け、改憲阻止の国民運動を提起し憲法闘争を今日まで強めてきています。
 2008年9月にリーマンショックが発生し、資本主義の限界が表面化する下で、日本では製造業大企業での派遣切り、非正規切りが行われ、これに抗議し「年越し派遣村」が取り組まれ、この活動で全労連は大きな役割を発揮するとともに、全国的な取り組みに広げました。

 リーマンショックも契機に、政治、経済ともにさらに激動の状況が強まり、2009年総選挙で、民主党政権が誕生し、労働者派遣法の規制強化の法案が2010年の国会に提出される変化が生じます。
 しかし、その後の民主党政権の迷走と、2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故を経て、2012年12月総選挙で極右の安倍政権が誕生し、最初に申し上げた暴走政治が行われる状況となりました。

 このような状況変化の中で、MIC(日本マスコミ文化情報労組会議)、純中立労組懇、全労連3者共同の東日本大震災労働者対策本部の設置や、この枠をさらに全労協にも広げた雇用共同アクションなど、労働団体間の共闘を前進させてきました。
 また、2012年7月の「さようなら原発10万人集会」など、国民的課題での一点共闘の前進、発展に努力し続けています。
 特定秘密保護法の強行、集団的自衛権行使容認の閣議決定などの動きに対し、他団体との共同を追求するとともに、草の根の運動を担って奮闘しているのが、今日、この時点の全労連運動の状況です。

 以上のような、運動の経過をふまえた到達点を、とりまとめ的に述べれば、一つは執拗な財界の春闘解体攻撃のもとでも、同じ時期にたたかいを集中させることで横並びでの労働条件の改善を勝ち取るという春闘の解体を許していないことです。
 産別、地域の統一闘争を軸に、横並びで賃上げを勝ち取るという春闘の意義は、逆に、2014年春闘の結果でも明らかにしたと思います。 
 二つは、派遣切り・非正規切りやブラック企業の広がりを告発するなど、最も困難な状態に置かれる労働者に寄り添い、その雇用と権利を守るたたかいを前進させ続けてきたことです。
 三つは、労働法制改悪などの攻撃に対し、労働組合間の一致点での共同前進に積極的に対応し、前進させてきていることです。
 四つに、国民要求の実現をめざし、国民共同の前進の中心的役割を担い続け、今「一点共闘」の前進に大きな役割を発揮しています。
 五つに、強まり続けている憲法改悪の動きに抗した運動を、署名活動など組合員段階からの総がかりの取り組みに前進させ、国民的な運動での積極的な役割を発揮していることです。

写真 もとより、全労連の運動が順風満帆というわけではありません。組合員の減少、次代を担う活動家育成の遅れ、職場活動の後退など、克服すべき課題は少なくありません。

 取りまとめて申し上げれば、一つは、全労連の結成の原点を引き継いでいくことの必要性です。全労連結成に向け、「ナショナルセンターとは」を繰り返し論議し学習し、企業内労働組合の弱点の克服、単産・地方が力をあわせる統一闘争の必要性と具体化を実践の中で確認したことが、全労連結成に結実したと思います。この点の継承は、全労連運動の前進のためにも不可欠です。

 二つは、労働組合の最大の課題である賃金・労働条件改善で、産別、地域の枠をこえ、国民的な共同も背景にたたかって成果を勝ち取る国民春闘を前進発展させるために挑戦し続けることの重要性です。大企業や一部富裕層への富の集中が一段と強まり、労働者の生活悪化が止まらない状況を変えていくためにも、全労連の組織的前進のためにも不可欠の課題です。

 三つは、経済闘争と階級闘争を両輪の取り組み課題として実践していくことは、安倍暴走政治のような状況が強まっているもとでは、特に重視しなければなりません。
 憲法擁護、米軍基地撤去、原発再稼働阻止、社会保障拡充、応能負担原則の税制度確立などの運動を積極的に位置づけ、政治の転換もめざした共闘で役割を果たすとともに、総選挙などの政治戦でも、労働者要求を積極的に掲げた労働組合としての選挙闘争を発展させることが求められている時代です。

 四つは、職場と地域で手の届くすべてのすべての労働者を対象に、組合員全員参加の組織化大運動を追求することです。当面の目標である150万全労連の早期達成、200万全労連に向け、着実で粘り強く、全国、全単産で取り組みを具体化し続けようではありませんか。

 最後になりますが、私は、先月、戦後の日本のナショナルセンター・産別会議の最後の事務局長であった杉浦正男さんのお話を伺いました。100歳になられる杉浦さんのお話は、「労働者あるところに要求があり、要求があるところにたたかいがあり、たたかいあるところに労働運動・労働組合の存在価値がある」ということだったと私なりに理解しました。
 このことは、労働運動の大本だと思います。そこに確信をもち、かがやく未来をめざし、全労連の次の四半世紀への一歩を、今日ここから踏み出したいと思います。

 かがやく未来に向けた第一歩として、この間の運動で安倍内閣を追い込み、総選挙実施となったことを確信に、12月総選挙での革新勢力前進に全国で奮闘いただくことを重ねてよびかけて、本集会でのご挨拶とします。

以 上

 
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