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国旗 世界の労働者のたたかい
メキシコ
2004
 2003年のメキシコの労働者のたたかいは、発効から10年目になろうとする米国、カナダとの北米自由貿易協定(NAFTA)がもたらしている矛盾とのたたかいでもある。70年代から80年代にかけてメキシコを襲った経済危機への回答として「構造調整」がおこなわれ、国民生活犠牲のうえにその目的を達成しようとしたのであった。しかし、この「ネオリベラリズム」の経済政策はメキシコ経済に活力を与えることもできなかった。
 メキシコの労働者の購買力はこの20年で76%に低下し1億をこえる人口の4割近くが貧困にあえいでいる。極貧人口は2,500万にものぼるという。政府は、ガソリン、主食のトルティーヤ、牛乳への価格補助をやめた。IMF・世銀は、メキシコがかかえる対外債務の問題をてこに、経済の優先課題を変えて、外国からの投資を増やさせた。
 その主要な具体化の一つが、航空、鉄道、運輸、電信電話など基幹産業の民営化だったが、そのなかで、労働者のうち労働組合員数がかつては4分の3をしめていたのが3分の1にまで下がってしまった。国営石油企業PEMEXはいまなお72%が組合員であるが、石油関連企業はこれまで約10年間に相次いで民営化され、組織率は7%にまで落ち込んだ。民営化された鉄道では、従業員を9万人から3.6万人に減らされた。
 近年メキシコでは、町の物売りなどの「インフォーマル経済」で働く人の数が急増している。ビセンテ・フォックス政権が発足した2000年以来、約50万人が失業した一方、「インフォーマル経済」の労働者は90万人増えた。
 電力の民営化をめぐるたたかいは、まだ続いている。IMF・世銀の意向を受け、フォックス大統領は、今年民営化法案を提出した。メキシコの電力供給は、連邦電力委員会(CFE)がおこなっているが、首都メキシコ市と国の一部地域では、米国の電力会社Power and Light Companyが供給している。メキシコは他の国にくらべて電力使用料金が安い。それでも払えない貧しい人々も多いなか、民営化は貧困層をふくめ広範な人々の生活に打撃を与える。民営化してアメリカの企業が参入して、メキシコだけでなく、一部を米国にも供給しようというのが、エンロンやベクテルなどの企業の狙いだという。
 日本、アメリカなどの企業が進出しているマキラドーラ(保税加工制度)地域は、低賃金で劣悪な労働条件で知られているが、この2年余りの間、工場閉鎖が相次ぎ、失業が深刻化した。原材料を輸入して組み立て製品化して米国などへ輸出するこの工場地帯では約百万人の低賃金労働者が働いている。ところが最近では、中国が対米輸出でメキシコを抜いていることに示されているように、マキラドーラの企業が中国に移転するようになっている。2000年以来、マキラドーラで雇われる労働者は20万人減少した。
 マキラドーラで働く労働者は、ほとんどが事実上の無権利状態におかれているが、そうしたなかでも、他の産業や米国の労働組合などの連帯をうけて、不当労働行為や労働条件か依然、賃上げを要求して粘り強くたたかっている労働者がいる。
 2003年には、米ケンタッキー州に本社のあるショッピングバッグ製造会社ドウロでは、2000年に労働条件改善をもとめてストライキで立ち上がり、解雇された数百人の労働者が2003年3月17日、同社とマキラドーラの「正義連合」という組織のあいだで、退職金を支払うことなどで和解した。これらの労働者は、既存の労働組合が御用組合だったために、別のたたかう労働組合を立ち上げようとしたが、会社側は、警察官を導入して暴力をもって圧殺。この不当な行為とたたかった結果、ドウロは、解雇した労働者職場復帰を認めなかった者の、退職金を支払わせることができた。これは、メキシコの法律に従ったもので、年数にもとづいて退職金の算出をした分と、3ヵ月分の賃金、解雇時に遡って未払分の支払いで決着した。
 このたたかい、「正義連合」のほか、「民主法律家協会」も法的側面で支援した。

労働法制改革問題

 
4月11日(メキシコ革命の英雄エミリア?ノ・サパタの死後84周年記念日)、メキシコ市では、労働者、農民数1,000人が、政府の労働法改定案に反対するデモをおこなった。この日、電信電話労働者は、3時間のストライキを決行した。
 メキシコでは大企業や多国籍企業は、労働者の権利や生活を守るうえで重要な労働法の改悪を一貫して要求してきた。2002年12月には、フォックス政権の与党である国民行動党(PAN)が改正法案を下院に提出した。これより先、野党の民主革命党(PRD)が改革案を議会に提出していた。与党案は、労働組合を協調主義のもとにおこうとするもの。これにたいしてPRDは、協調主義路線と腐敗にメスを入れ、労働組合を組織する自由を保障すべきことなどを盛り込んだ。
 メキシコで労働法がはじめて制定されたのは1931年だった。それより前に、メキシコ革命(1910−1920)の結果制定された憲法には、労働者の団結権とストライキ権とともに、女性、子どもの保護、8時間労働制、生活できる賃金の保障などが明記されていた。世界でもっとも進歩的な条項だった。ところが、労働法は、政府、経営者、労働者の3者からなる「調停仲裁委員会」をつくり、国家の労働組合にたいして介入、管理することを制度化した。結局、労働組合として認められ、3者委員会に席をしめることができたのは、最近まで政権党だった制度的革命党(PRI)系のメキシコ労働組合連合(CTM)だけだった。それが、政府との癒着、腐敗を生んでいった。こうして、民主的あるいは階級的労働組合はつねに排除されることとなった。

共同行動の前進

 メキシコでは2003年に、フォックス政権の経済政策に反対する共同行動が労働組合を中心として発展した。
 11月27日にはメキシコ市で、主催者発表で20万人が参加したデモ行進がおこなわれた。メキシコ市以外でも、グアダラハラ、ハリスコ、プエブラ、モンテレイなど9州で、数千人規模のデモがおこなわれた。フォックス政権が食料品、薬品に課税することを提案したことへの抗議、電力民営化反対、労働法改悪反対などが中心課題だった。それまで数ヵ月にわたって民主革命党(PRD)、労働組合などが、制度的革命党(PRI=2000まで与党)の一部もふくめて構築してきた行動で、フォックス政権とその与党PANの電力民営化の動きなどネオリベラル(新自由主義)の政策を非難した。これには民主的労働組合UNTや「農村はもうがまんできない」などの統一行動の促進がはかられた。12月、政治的混乱を背景に、大統領の食料品、薬品への課税案は議会で否決された。