全労連 TOPへ戻る BACK
国旗 世界の労働者のたたかい
ドイツ
2003

 9月22日の連邦議会(下院)選挙は、日本語に移せば「ぎりぎりの」とか「鼻の差の」とか形容された多数で政権与党の社会民主党(SPD)と90年連合/緑の党(Grüne)が勝利した。最終結果はSPD251、CDU/CSU(キリスト教民主、同社会同盟)248、Grüne 55、FDP(自由民主党)47、PDS(民主的社会主義党)2。得票率はSPDとCDUがともに38.5%(前回比でSPD2.4%減、CDU3.4%増)、Grüne8.6%(1.9%増)、FDP7.4%(1.2%増)、PDS4%(1.1%減、5%条項があり比例代表での当選者なし)。ドイツの選挙制度は比例代表制と小選挙区制の併用。SPDとCDUの議席差、そしてPDSの2議席はともに小選挙区でのそれであった。こうして選挙前の連立与党が306、野党CDU/FDPが295、PDS2という議席配分になった。与野党接近の中、連邦参議院では野党が多数派である。連立政権は続投となったが政権運営は厳しさを増すことになった。
 ところで選挙戦前の世論調査では、連立与党の劣勢が伝えられ続けていた。景気の低迷と大量失業の持続について政治の責任を問う世論の強まりがあった。大量失業は02年初頭にふたたび400万人の大台に乗り、減少の兆しを見せないままに推移した(12月が420万、年間平均では406万とされる)。98年の連立政権発足時に、シュレーダー首相は02年までに失業者数を350万以下にすると公約したが、01年秋にはそれの撤回を余儀なくされていた。02年2月の労働市場と労働行政の抜本改革を諮問した「ハルツ委員会」の発足、そしてその精力的な委員会審議の成果である8月16日の答申(後述)は、命運をかけた選挙公約の再構築であった。
 選挙戦での劣勢の予想を覆す最大の争点となったのはブッシュ政権の「イラク戦争」であった。ドイツ市民の圧倒的多数は「イラク戦争反対」、「ドイツ軍の参戦反対」の世論をつくり出していた。連立政権与党はこの世論に応え「戦争不参加」を公約した。まさしく「ぎりぎり」ながら予想を覆す結果を導いたのは有権者の「戦争不参加」の固い意思であったと言える。
 景気の低迷と大量失業、強行されるリストラのもとでの戦後最大といわれた企業倒産。それと総選挙に集約される政治状況。02年のこうした政治・経済環境のもとで、労働組合はその大勢が労働協約改定期を迎えたこともあり、「最も労働争議集約的」と評されるたたかいを展開した。戦後史上初めてという建設労働者のストライキ、8ヵ月にも及ぶ賃金体系の改変をめぐる銀行争議、さらには「統一サービス産業労組」(ver.di)が結成後初めて取り組んだ公共部門の越年争議。以下にはその一端を報告する。
 付言すれば、「ドイツ労働総同盟」(DGB)は5月開催の第17回大会で新執行部を選出、シュルテ議長(IG Metall)に代わりミヒャエル・ゾマーver.di副委員長が新議長に就任した。またIG Metallは6月に「未来会議」、8月に「労働時間会議」を開いた。前者は討議資料『攻勢‐2010』をめぐり組合内外の意見を求めたもの、同資料は03年の定期大会で確定されることに。後者は週35時間制を定めた基本労働協約が03年4月期限切れとなるにあたり、それへの対応を討議。
 なお、02年当初から通貨はマルクに代わりユーロ(Euro、オイロ)となった。

02年協約運動から

 02年の賃金協約運動はその多くが2年ぶりのたたかいとなった。「控えめの賃上げと長い協約有効期間での妥結」と特徴づけられた2000年の協約が、01年の賃上げ分もすでに決めていたからである。2000年協約の妥結内容が、「雇用のための同盟」(首相主宰政労使トップの円卓会議)の同年1月の『共同声明』にしばられる結果になったことは、本報告でもすでにふれた(第7、第8集参照)。『声明』の「雇用指向の、より長期的な協約政策」の勧告に応える形になったのが2000年協約であった。
 さて02年の協約運動は、いくつかの重要な政治・経済上の動きのもとで取り組まれた。01年9月11日のアメリカの「同時多発テロ」の影響は多大で、事態への対応として使用者側からは補正条項をつけてのより長期的な協約が提案されたり、一方で一部の組合執行部からは当面は短期暫定的な協約、そして後に本格的なそれという方針が打診されたりした。いずれも実施にはいたらなかったが。
 02年の政治課題としては9月の連邦議会(下院)の総選挙が控えていた。また経済的には、景気の低迷と大量失業が持続したままであった。雇用問題は最大の政治的争点ともなっていた。こうした状況下で、協約政策について使用者側は、さらに政府も、前回2000年のそれ、つまり『共同声明』の路線の継承・延長に固執し、その線上での「雇用のための同盟」の開催を望んだ。しかし組合側は自らの要求が固まらない以前の協約政策の話し合いには応じられないとし、「同盟」は協約政策には踏み込めないままに終わった。
 組合はこぞって大幅賃上げの要求を掲げた。ドイツの協約運動は公共部門が秋以降であるのを別にして、大半の協約改定期は上半期に集中する。02年の上半期に、各組合は建設の4.5%を大手部門の要求の下限とし、金属・電機6.5%、化学5.5%などいずれも6%前後の大幅要求を掲げた。要求が大幅なのに対応して交渉は近年にない激しいものとなった。金属、建設、小売り、銀行では正規の(全員投票を経ての)ストライキが展開された。銀行は8ヵ月に及ぶ交渉をたたかい抜いた。これらのたたかいの成果を受けて秋から始まった公共部門の交渉は、スト権集約のもとで越年し、調停に持ち込まれた。
 「ドイツ労働総同盟」(DGB)に近い「経済・社会科学研究所」(WSI)が、02年の上半期に妥結した協約の賃上げ率の集計によれば(前の協約の有効期限が3月、あるいはそれ以降までずれ込んでいるので、それをならして集計)、全体平均での02年のアップ率は2.9%であった。部門別では金属・電機など投資財産業3.3%、化学など原材料・生産財部門が3.2%、印刷・紙および木工・プラスチック3.1%、保険2.9%、建設2%であった。

◆金属・電機の場合―ベルリン・ブランデンベルグ地区で1930年以来のスト
 「低率の賃上げがより多くの雇用をもたらすというナイーヴな理論は現実の破綻している」。「金属労組」(IG Metall)が協約交渉の継続中に、「金属経営者連盟」(Gesamtmetall)の交渉姿勢を批判した一節である。「金属労組」の金属・電機部門についての交渉(鉄鋼部門は別)の流れは別表のように整理される。執行部は下部討議を経て1月末に要求を確定した。賃上げ率とともにERAが要求されているが、それは類似の資格を持つ労働者と職員の間の大きな賃金格差(月額で100〜400ユーロの格差があると言われる)を、賃上げ分の源資への繰り込みによって05年目標で是正しようというもの、長年の懸案への取り組みであった。
 さて2000年協約の有効期限は2月末であったが、

金属・協約ラウンド2002の経過
01.12.10 IG Meta11執行部の要求勧告:5‐7%および報酬基本協定(ERA)への取り組み
02.1.28 IG Metall要求:6.5%プラスERA取り組み
02.2.7 交渉開始:バイエルン地区
02.3.15 バーデン・ヴュルテンベルク地区で使用者第1次回答:02.3から2%、03.3からさらに2%、その1部を経営内のERA基金へ繰り込み
02.3.28 平和義務終了。警告スト始まる
02.4.19 バーデン・ヴュルテンベルク地区で交渉決裂
02.4.25-30 直接投票:(賛成票)バーデン・ヴュルテンベルク90.04%、東ベルリン/プランデンブルク87.2%、西ベルリン85.7%
02.5.6 柔軟ストライキ始まる
02.5.15 バーテン・ヴュルテンベルクで交渉再開。パイロット妥結
02.5.21-25 第2次直接投票:(賛成票)バーデン・ヴュルテンベルク56.53%、東ベルリン/ブランデンブルク70.98%、西ベルリン62.88%
資料出所:WSl,Tarifpolitischer Halbjahresbericht,S.12
それを待たずすでに2月中のバイエルン地区を皮切りに各地区の交渉が並行する。そして使用者側の1次回答が提示された一定時点で交渉の中心地区がバーデン・ヴュルテンベルクとなる。自動産業の中框地域である。
 団体協約法上の平和義務の1ヵ月が過ぎ、交渉に進展がなく地区交渉が決裂する。全国執行部はストライキの方針を固め、スト権集約の直接投票を2つの地区を選び実施したがそれは圧倒的な多数で集約される(75%以上で成立)。ストライキはバーデン・ヴュルテンベルグ地区から始まり、ベルリン地区へと続いた。金属労組のストとしては95年のバイエルン地区の11日ストから7年ぶり、ベルリン地区に限れば実に1930年以来(世界恐慌下8%カットの仲裁裁定に抗議した延べ13万人参加の10月スト)のそれであった。「柔軟スト」(Flexi‐Streik)と名づけた戦術がとられた。1日ごとに企業を移動するストライキであり、ロックアウトを封じるための戦術であった。スト参加者は5月15日までに196事業所の約21万7,000人に達した。並行して各地で連帯行動が組まれ、15日の交渉再開当日だけでもそれは8万人に達した。また13日には欧州金属労連が連帯の声明を発表した。
 5月15日、1ヵ月ぶりに開かれたバーデン・ヴュルテンベルクの交渉が妥結をみた。1)02年5月について120ユーロ(1ユーロ約130円)の一括払い(3、4月についてはゼロ)、2)02年6月から03年5月まで4% 、03年6月から12月までさらに3.1%の賃上げ、3)ERAの合意にもとづき4%の賃上げ分から0.9%、3.1% から0.5%を格差調整分として基金にプール。したがって次期の協約のベースになるのは、3.1%と2.6%の2回のアップ分、4)協約の有効期限は22ヵ月。
 5月21日から第2次直接投票が実施され、スト権が解除され(25%以上の賛成票)、バーデン・ヴュルテンベルクの妥結がパイロット妥結となり全国協約が確定した。
 組合中央は賃上げ4%を「マジック4」の達成と呼び、実質賃金増となり国内景気の活性化に役立つとし、またとくにERAの合意を、「過去数十年来の最も重要な協約改革の1つ」と評価した。使用者側は引き続き長い有効期間をもつ協約の妥結となった点をメリットに数えた。

◆戦後史上初めてのストでたたかった建設労働者
 建設業はここ10年来、循環・構造両面の危機に見舞われている。その象徴的事例は業界第2位のフィリップ・ホルツマン社の倒産である。同社は99年末にも経営危機に陥ったが、その時は政府の大規模な金融支援策によってそれを回避することができた。01年に入って再び業績が悪化、しかし今回は債権銀行団の足並みが乱れ、加えて政府も99年の救済仲介でEU各国から批判を浴びた経過もあり不介入の立場をとった。3月下旬、同社は会社更生手続きを裁判所に申請した。
 建設労働者数は90年代半ばまで140万人を数えたが、01年には95万人まで減少した。96年に40万人強を数えた東部ドイツでも正規労働者は22万人と半減し、逆に法定最賃(一般的拘束力宣言による)以下での不法就労が増大している。
 02年協約ラウンドに向けた建設労組(建設・農業・環境労組、IG BAU)のモットーは「所得と雇用―ともに確保しよう」であった。そして次の具体的要求が掲げられた。1)4.5%の賃上げ、2)東西ドイツの格差解消、東の「雇用保障条項」(競争力保持のため10%までの協約賃金引下げを認める)の廃止、3)不法就労(もぐり労働)と賃金ダンピングの排除、最低賃金の引き上げ、4)労働時間、有給休暇などに関する基本労働協約の近代化。
 2月下旬から始まった中央交渉で、使用者側は組合要求を問題外とし、いきなり基本労働協約の解約を提案した。残業の上限の引き上げと残業割増率の引き下げ、週6日制への復帰、交通費と遠隔地通勤手当の削減などである。5月3日の第5次交渉まで使用者側は賃金についてゼロ解答を続けた。
5月8日、組合は調停を申請した。調停者はキリスト教民主同盟(CDU)の長老で元ラインラント・プファルツ福祉担当相のH・ガイスラー。調停は建設業の調停規則に従がって5月29日の期限まで3度行われた。21時間調停となったといわれる3回目には次の案が提示された。1)4月から5ヵ月賃上げゼロ、2)9月から03年3月まで3%、03年4月から12ヵ月についてさらに2.1%の賃上げ。しかし調停は不調に終わった。最低賃金の引き上げがなお争点として残ったと言われる。
 6月10日から組合はスト権集約の直接投票を実施した。15日に集計された結果は98.63%という圧倒的な賛成であった。
 6月17日、戦後史初めての全国ストが始まった。ベルリン、ハンブルグ、ブレーメン、ドルトムントなどの500の建設現場で8,000人がストに入った。日を追ってストを拡大する戦術が組まれ、5日目の21日には1,506現場2万8,000人を数えた。
 6月24日、交渉が3週間ぶりに調停者のもとで再開された。24日2,463現場3万人強、25日2,837現場3万2,000人のストがそれを囲んだ。22時間の「マラソン交渉」で新協約妥結の時を迎えた。1)西ドイツ地域では4、5月ゼロで6、7、8の各月について75ユーロの一括払い、2)東ドイツ地域は8月までゼロ、3)9月から両地域3.2%03年4月から12ヵ月についてさらに2.4%の賃上げ、従って協約の有効期限は24ヵ月。(4)02年9月および03年9月から2段階で東西の最低賃金(時間賃率)の引上げ、西9.80→10.12→10.36、東8.63→8.76→8.97(単位はユーロ)。(5)03年9月から新規に技術職について第2最賃の導入、西12.47、東10.01。(6)最賃については従来どおり一般的拘束力の適用を申請する。(7)東の「雇用保障条項」は延長される。(8)基本労働協約関連では賃金グループの再編など合意。週6日制は組合が拒否を貫いた。
 6月26日からの直接投票は、89.25%の高率でストの解除と協約の妥結を承認した。「ストライキはまさしく紛糾した交渉状態を打開し、合意の圧力をつくりだすのを助けることができる」。1新聞の論評であるが、同紙はとくに第2最賃の導入と週6日制の復活拒否とを成果として注目した。ちなみに2000年協約の賃上げ率は2段階で2%と1.6%であった。

◆8ヵ月の銀行争議‐最大の争点は成果主義賃金
 12月13日の第5次交渉で民間銀行業の協約がようやく妥結した。4月の交渉開始以来、8ヵ月におよぶ紛争を経ての妥結であった。当事者組合は「統一サービス産業労組」(ver.di)である。この組合が5組合の合同で昨年結成されたことは本報告前号(第8集)でも述べた。02年の協約運動で同組合は、小売業、金融、公共部門などいくつかの大手部門の当事者組合として、初めてその力量を問われる場に立った。
 民間銀行の労働者(約46万5,000人)の協約改定で、ver.diは6.5%引上げの要求を掲げ4月から交渉にのぞんだが、それは6月13日の第3次交渉で決裂し中断した。使用者側は賃上げ回答をいっさい行わず、逆に賃上げの前提として協約への開放条項の導入、とくにその中身として支店窓口行員について固定給部分の35%削減、それに代えての歩合給の採用を提案して譲らなかったためである。組合はこの使用者提案(「可変的・成果依存的報酬制度」と組合は名づけた)を「挑発」だとして6月中旬からストライキ行動に移った。
 第3次交渉を一方的に打ち切った使用者側はこれまた一方的に、法的拘束力をもたない3.1%の賃上げを7月1日から実施した。交渉の膠着状態の中で、組合は中旬以降、90%強の賛成を得て全国ストを展開した。「息の長い戦略」として「柔軟な争議戦略」が組まれた。
 交渉がスタートした時期から6ヵ月を経過し、スト参加者は7万人にのぼった。10月16日に労使の予備会談が行われ、11月7日に第4次交渉を開くことを決定した。「合意のチャンスは確かに瀬戸際だ、しかしわれわれは成果を勝ち取るよう全力をあげる」と組合の交渉リーダーは語った。
 第4次交渉は9時間に及んだ。「卵は生まれそうだ、しかしまだだ」と使用者側、可変的な報酬部分について「合意への重要な歩み寄り」と組合側。「13ヵ月目の給与」の弾力化も合意が予想された。12月13日に第5次交渉をもつことが決められた。
 12月13日、新協約が妥結をみ、紛争は終わった。主な内容は次のとおりであった。1)02年7月1日から3.1%、03年7月1日からさらに2%、04年1月1日からさらに1%の賃上げ。有効期限は04年5月31日まで、2)03年7月1日から年間給与の4%が業績によって支払われる。実施は企業と事業所委員会の協議による。3)13ヵ月目の給与は94%から112%の幅で企業業績に依拠(事業所委員会との協議で)、4)土曜労働についての時限協定は04年末まで延長、5)スト参加による処分なし。その他に繰り上げ退職、高齢者パートについての協約延長、雇用保障条項の改正などが折りこまれた。また新しい取り決めとしては同性結婚者が夫婦と同じ免除請求権を得たことがある。同性結婚が憲法によって認められたことへの対応であった。妥結内容のうち、02年7月からの3.1%賃上げは使用者側の任意実施(前述)を協約上追認した形である。成果主義賃金部分4%について組合は言う。「これによってver.diは固定給の35%までの意図された減額を阻止し現在の協約水準を確保した」と。また妥結全体について次のように評価した。「以上の成果が可能になったのは、数万の銀行員が協約紛争において争議措置に参加したためである」と。

◆ウォールマートは承認労働協約の締結に応じよ ―国際行動とも連帯
 アメリカの最大手小売チェーン・ウォールマートは数年来ドイツに参入し、各地に95店舗を展開している。従業員は1万5,000人を数える。このウォールマートと「承認労働協約」(拘束的な協約関係)を結ぼうとするver.diのたたかいが続けられている。
 ver.diの呼びかけによる7月26・27両日のストライキ行動には全国95店舗中46店舗の約2,000人が参加、26日のヴィルヘルムスハーフエンの集会には1,200人、エスリンゲンのそれには約400人が参加した。前者では同市の店舗とインゴールシュタットのそれの閉店、後者では同市の店舗の他スーパーへの身売りの報道への抗議に合わせて、ウォールマートに承認労働協約を結ばせる要求行動が組まれた。ver.diのビラは次のように訴えた。このアメリカ企業は小売部門の水準を指向する賃金・給与をドイツの従業員に支払ってはいる、しかし協約によってしばられまいとし、いつでもこの実施から逃げられる手立てを留保している、「ver.diは世界最大のこの小売コンツェルンが、そのドイツ店舗で部門労働協約を法拘束的に認めるまではひるまない」と。
 10月17日、ウォールマートに対するver.di協約会議が開かれ120名が参加し、「われわれはわれわれの労働条件を労働協約で確保するためにたたかい続ける」と決議した。事の起こりは10月15日にウォールマートが組合とのトップ会談で、小売についての拘束的な協約関係をver.diと合意することを拒否すると声明したことにあった。決議は全会一致で次のようにも述べた。この企業を協約の締結にもちこむために、ver.diは「具体的な歩みを始める」、組合は「いつでもストライキまでの争議手段に訴える状態に」ある、むしろ直接に個々の労働者と交渉しようとする「ウォールマートの鉄則」は、常に優位を保とうとする経済的強者の試みとして正体みえみえである、と。
 11月21日はウォールマートに対する「国際行動日」とされ、本拠アメリカを中心にして抗議行動が組まれたが、ドイツでもver.diが連帯行動を呼びかけた。「ウォールマートは確かにドイツの1万5,000人の従業員に、小売業の労働協約を適用すると表明した。しかし協約縛り(Tarifbindung)は拒否している。この拒否は、ウォールマートが折を見てドイツの協約制度から再び逃れることを留保している明らかなしるしである」。呼びかけはこのように述べ、さらにアメリカの労働組合が行動日に、ウォールマートの労働条約改善とともに、児童労働、強制労働あるいは奴隷労働によって商品がつくられる国との貿易の中止を要求していると伝えている。

◆「明確に3%以上」 ― 越年する公共部門争議
 公共部門(約300万人)が02年最後の巨大協約交渉の場となった。交渉当事者は組合側がver.diであり、協約委員会の代表にはブジルスケ委員長自身が就任した。前協約は「公務・交通・運輸労組」(?TV)としてであったが、今回は合同によりver.diとしての初登場となった。使用者側は連邦がシリー内相、州がバイエルンの蔵相、市町村自治体はボッフム市長がそれぞれの代表であった。
 10月22日にver.diは今期の協約要求を決定した。1)「明確に3%以上」、2)遅くとも07年までに東ドイツ地域の賃金を西と同水準に、3)有効期限は12ヵ月。同じ日に、他組合「ドイツ官吏連盟」(DBB、組合員約120万人)も3.5%要求を決定した。
 要求を集約する過程で、いくつかの地区は上半期の他部門と同じに6.5%要求を提案した。協約委員会はそれを公共部門にとっても正当だとしながらも、先行した他の重要部門がいずれも3%強で妥結していることもあり、迅速な交渉妥結を見込んで、その先例にならい「現実に近い要求」でのぞむことに決した。
 交渉の第1ラウンドは11月15日であった。「われわれの要求は熟慮のうえでのもの、通例の協約儀式をしている余裕はない」と組合側。「金庫にない金を払うわけにはいかない」と使用者側。こうしてゼロ・ラウンド、ゼロ回答が12月18日の第3ラウンドまで続いた。組合は早々に争議の手はずを整え、さらには調停を予想もしなければならない立場に置かれた。
 使用者は協約ラウンドが始まる以前から、組合要求を抑え込み、ゼロ・ラウンドを貫くさまざまな方策を展開した。1つはベルリン市政府(州政府に相当)の発案によりいくつかの州が連携した協約への開放条項の導入計画である。公務員給与の一部を今後は州が決定できるようにしようとするもの。具体的にはこの提案を連邦参議院(州政府代表で構成、現在は野党が多数派)にもちこみ、11月29日の内務委員会での決定を期待した。しかし委員会審議では翌年1月末まで見送りとなった。ベルリンは市単独でも組合と「連帯協定」を結ぼうとしたが組合はこれを拒否した。3年間の給与凍結とクリスマス手当の削減を労働時間短縮と雇用保障の延長との相対にする提案であった。前市政の財政破綻による大幅赤字の存在を認めつつも、組合が個別に応じられるものではなかった。
 組合要求へのけん制も繰り返し行われた。州代表はすでに交渉以前に「ゼロとそこそこのあいだ」の妥結を語った。シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州政府は協約交渉からの脱退を表明した。一方で同州は議員歳費の5.7%アップを提案して組合の非難を浴びた。ノルトライン・ヴェストファーレン州では新規採用者から公務員身分を廃止する案が検討された。自治体代表のボッフム市長は「賃金休戦」の主張を繰り返した。
 組合は抗議行動を日増しに拡大した。病院、学校、保育園、消防署、介護施設、道路の保守・清掃、ごみ収集、バス・電車の都市交通など全国の多様な公共機関の労働者・職員が警告ストに入り、デモ・集会に参加した。12月5日にはブレーメンで協約対策のための各州内相会議が開かれたが、これには8,000人の抗議集会が対置され、ブジルスケ委員長も出席した。翌6日にはノルトライン・ヴェストファーレンの60都市で約3万人参加の集会とデモ。14日には4万人のベルリン行動。同じくニュルンベルグでは近郊交通が数時間、さらにミュンヘンでは地下鉄が24時間休止となった。そして第3次交渉前日の17日には、全国で11万人、ノルトライン・ヴェストファーレンだけでも70以上の市町村で4万8,000人が街頭行動に出た。その日、行動は空港にも拡がった。ルフトハンザでは国内便を中心に360便が欠航、2万5,000人以上が足止めさせられた。
 12月19日早朝5時半、ver.diの交渉委員会は交渉の決裂を宣言し、調停を呼びかける勧告を行った。前日午後から始まった14時間交渉ののち、つい30分前に、使用者側が、自らが「提案」と称する挑発を出してきたからだ、とver.diは報じた。「提案」(初めての回答)の主要点はこうであった。1)03年1月1日から0.9%、さらに西では03年10月1日から、東では04年1月1日からそれぞれ1.2%の引上げ。02年11月および12月についてはそれぞれ40ユーロ、2)最低協約有効期限は04年6月30日まで。同じくその時期までクリスマス手当は凍結、3)東の所得の西の水準への適用は07年以後の交渉課題、4)以上の「過剰負担の調整」として西の週労働時間を言行より30分延長して9時間とする。組合は東西格差の解消要求が拒否されたのを非難し、また特に30分の勤務時間延長は事実上の賃上げゼロ回答だと批判した。
 クリスマス直前に、組合側は元ブレーメン市長コシュニク、使用者側は前ライプチヒ市長レーマン・グルーベを調停人として指名した(ともに社民党員)。20人で構成された調停委員会は12月28日にブレーメンで会合を持ち、年明け早々に調停案の提示を受けることで合意した。調停不調ならばストライキ(組合は1月19日以降を予定)あるいはロックアウトと双方が予告を応酬する中で、紛争は越年した。
 03年1月10日、労使双方は調停案を受け入れ、紛争は収拾の時を迎えた。8日から始まった30時間交渉で妥結した新協約の骨子は次の通りである。1)02年11・12月の賃上げ分として120ユーロの一括払い、2)03年1月1日から2.4%、04年1月1日から1%、同年5月1日からさらに1%、3)東西の格差解消は、低額賃金グループは07年、高額賃金グループは09年までに行う、4)協約の有効期限は05年1月末までの27ヵ月。付言すれば、「教育・学術労組」(GEW)、「警察労組」(GdP)の組合員も新協約の適用を受けることとなった。また別組合「ドイツ官吏組合連盟」(DBB、組合員約120万、対象人員約150万人、組合の当初要求は3.5%)もver.diと共同歩調をとり、同じ協約内容で妥結した。

「イラク戦争」への反対行動が続く

 「イラク戦争」への態度が9月総選挙の一大争点になったことは前に述べた。70%以上の世論が戦争に反対し、それに応えた政権与党が選挙戦に勝利した。その反対行動の実像・象徴は前後して繰り返された街頭行動であった。2つの場合を報告する。
 5月21日、ブッシュ米大統領のドイツ訪問を翌日に控えて、約250団体が加盟する「平和の枢軸」主催の集会とデモがベルリンで行われ、全国から約10万人(主催者発表)が参加した。「ミスター・ブッシュ、われわれはあなた方の戦争を望まない――われわれはどんな戦争も望まない」の共同スローガンのもと、ウンターデンリンデン大通りのフンボルト大学前を出発し、アレクサンダー広場まで通りを埋め尽くして行進が行われた。「戦争屋ブッシュのイラク攻撃反対」、「連立政府は戦争加担より職場を増やせ」などの横断幕、プラカード、ゼッケン、あるいはブッシュ大統領の張りぼて人形が続いた。集会あいさつで宗教者の代表は、この抗議行動は「アメリカ人に対してではなく、われわれが取り返しのつかないものと考え、われわれがともに進もうと望まない政治に対して向けられている」と訴え、またイラクやソマリヤに対する武力攻撃は、テロの克服には「役に立たない手段」だと述べた。ワシントンが例えば地球温暖化防止についての、あるいは国際刑事裁判所の設置についての条約を拒否したのを批判し、自然科学者グループの代表は、そのような「ブッシュ政権の一国覇権主義」を拒否しようと述べた。また金属労組の執行委員シュミットヘナーはブッシュに政策変更を要求し、「頭の中の壁を引きはがせ」と訴えた。集会には「民主社会主義党」(PDS)全国委員会、ベルリン地区緑の党、さらに社会民主党(SPD)、緑の党(Gr?ne)、PDSの国会議員が呼びかけ人として参加した。
 10月26日、この日アメリカを含め世界各地で反戦の集会・デモが取り組まれ、アメリカの首都ワシントンではベトナム戦争時以来最大と言われる20万人集会が行われたが、ドイツでもこれに呼応した行動が展開され、それは全国80都市に及んだ。「始まる前に戦争をストップさせよう」の共通スローガンを掲げて、ブッシュ政権のイラク攻撃に反対する大規模な集会とデモが、ベルリンの3万人をはじめ、フランクフルト、デュッセルドルフ、ミュンヘン、ケルン、ハノーバーなど合わせて数万人の参加で行われた。この26日行動も「平和の枢軸」の呼びかけたものであった。
 ベルリンの集会には平和団体、労働組合、教会団体、アラブ移民団体などとともに、民主的社会主義党(PDS)、ドイツ共産党(DKP)、さらに90年連合・緑の党・社会民主党(SPD)からも多くの参加が見られた。参加者はプラカード、シュプレヒコールで、「連邦軍(ドイツ国防軍)は湾岸地域から離れよ」と訴えた。ハンブルグではアメリカの平和運動を支持し、「別のアメリカと手を組もう」の声があがった。フランクフルトでは米英の領事館前にデモ行進し、集会での決議文が読み上げられた。

「経営組織法はテストに合格した」 ― 事業所委員会の選挙に成果

 ドイツの従業員代表制である事業所委員会(経営協議会、経営評議会とも訳される)の委員選挙が春に行われた。4年ごとの選挙である。この制度を規制する法律「経営組織法」が昨年改正されて、委員の選挙手続きの簡略化と経営参加権の範囲の一定の拡大が行われたことは、本報告前号で紹介した。改正法のもとでの選挙結果をver.diの広報ページは表題のように報じた。
 正式の集計は03年春に出されるが、「ドイツ労働総同盟」(DGB)が9月に発表した暫定集計では次のような選挙結果が明らかにされた。選ばれた委員の数は前回98年よりも11%増、女性の割合も5%増であった。委員会専従(就労免除)を置くことができる事業所の従業員規模が300人から200人に改正法で引下げられたこともあり、免除される委員は部分免除も含めてほとんど倍増した。選挙された委員の約20%がDGB傘下の組合のメンバーではなかったが、キリスト教労組連盟(組合員約30万人、02年の労働裁判所判決で当事者能力を否認された)所属者は1%に満たなかった。
 中小経営に対して行われた新法による選挙手続きの簡略化は、事業所委員会をもつ経営が90年代に後退していたのをふたたび増やすことになった。98年の選挙時には3万6,000であった事業所・経営数は4万となり、しかも初めて委員会ができた事業所の約半数が従業員50人までのそれであった。選出された委員の総数は約22万人となった。
 IG Metallの組織領域では次のような結果が示された。就労免除の委員数は3分の1強(35%)になった。委員会における職員の割合は平均で前回の33%から34%に、小経営では41%になった。同産業部門での委員の性別比率(改正法で従業員の男女比率に合わせることになった)は68%の事業所で充足された。
 結論としてDGB発表は、改正経営組織法が90年代における事業所委員会制度の侵食にストップをかけ、企業・事業所の従業員への委員会の影響力を強めた、と評価した。

失業者の「3年で半減」を提起した『ハルツ委員会報告』 ― 最大の内政課題に

 8月16日、政府の諮問委員会である通称「ハルツ委員会」の最終答申『労働市場におけるサービスの近代化』がシュレーダー首相に提出された。副題に「失業の削減と連邦雇用庁の機構変革についての委員会の諸提案」とあるように労働市場と労働行政の改革を提言した343ページの大冊で、2005年までに失業者を現在の半数の200万人に減らすことを目標として宣言している。答申を受けたシュレーダー内閣は、9月総選挙を間近にしてそれの採用・実施の方針を直ちに固めた。選挙で政権の継続が決まり、すでに年内に関係の第1段の法律が成立するにいたっている。
 委員会が設置されたのは2月で、15名で構成され、フォルクスヴァーゲン社のペーター・ハルツ人事担当取締役が委員長に指名された。先に93年の同社における従業員3万人の雇用維持のための週4日28.8時間労働制の実施、近くは01年の「プロジェクト5000×5000」協約(新設工場で月額賃金5,000マルクで5,000人の雇用創出――本報告第8集参照)の締結で著名である。委員の構成は、経済界5(1名は手工業者団体代表)、政界・学界・労働界が各2名、経営コンサルタント2、他に市議会事務総長と州の職業安定所長。労働界からはver.diの執行委員イゾルデ・クンケルヴェーバー(女性、社会保障分野の担当)と、IG Metallのノルトライン・ヴェストファーレン地区委員長ペーター・ガッセ(州職安の管理委員長も兼ねる)が加わった。また政界からの2人はいずれも社会民主党の所属であった。
 諮問を受けて約半年、強行日程の調査・討議ののち答申は全員一致で行われた。改革提案の要点をあげてみることにしたい。
 「助成するが要求もする」。『報告』の導きの糸となっているのがこれであった。この線に沿って、まず受け皿としての労働行政機構の改革が提起されるが、その核となるのが職安(現在181ヵ所)のジョブ・センター(Job Center、英語名称が多いのも『報告』の特徴)への改変である。ジョブ・センターは労働市場関連のサービス業務の中心となり、労働の需要側である企業とのいっそうの連携強化が期待されている。とくに注目されるのは社会(福祉)事務所との関係で、そこでの業務の一部移管、統合が推進される。社会事務所が所管している稼得能力者に対する就労扶助はジョブ・センターの業務となり、それに伴って失業給付についての大幅な制度変更が行われる。従来の失業給付は失業手当、失業扶助、就労扶助の3層で構成されていたが、それは失業手当J、失業手当Kの2層となり、失業扶助と就労扶助は後者として一括され、そして窓口はジョブ・センターに一本化される。これにより社会事務所の扶助業務は稼働能力を欠く者に対する社会扶助に限られることになる。
 失業手当J(保険料財源)の給付内容にも厳しい変更が加えられた。賃金上昇へのスライド制が廃止された。委員会の審議過程では失業手当受給期間の削減(現行最大32ヵ月を12ヵ月に)と手当の一括減額が出されたが、労働組合の強い抵抗があり撤回された。
 『報告』の目玉は「失業の削減」策である。従来、「積極的労働市場政策」と言われ、「積極的」(aktiv)の用語が充てられてきたところを、『報告』は――意識してと思われるが――aktivierend(行動する、活性化する)のそれに置き換えている。この新しい用語法のもとで失業者を労働市場に参加させる施策が提起されている。1)ジョブ・センター内に労働者派遣事業を営む「人材サービス機関」(PSA)の設置。失業者は紹介された派遣先の受け入れ義務を負う、2)解雇告知を受けた労働者は直ちにそれをジョブ・センターに届け出る。目的は現在平均33週間の失業期間を22週間に(職業紹介の迅速化と失業手当の節減)、3)「期待可能性」のいっそうの厳格適用と挙証責任の逆転。上記1)2)は拒否あるいは遅延について失業手当減額の制裁を課すものであるが、3)は従来の職業紹介規定とそれに付随する制裁規定のいっそうの強化で失業者の就労を促進しようというもの。「期待可能性」とは職業紹介での紹介者側の期待・要求幅であるが、この尺度によって失業者は、失業前の職業よりも低位(例えば低賃金、低技能資格、引越しの必要など)のそれを紹介されてもそれを受け入れなければならない。『報告』はこの「期待可能性」の基準の見直しと制裁強化を提案し、さらに紹介された職業が「期待可能」でない場合の挙証責任はジョブ・センターではなく失業者側にあるとした。
 提案の4)は「ミニ・ジョブ」(Mini-Jobs)の改革である。これは「軽微雇用」あるいは「僅少就業」を規制する99年法(「軽微雇用関係の新規制に関する法律」)の拡充を求める提案である。同法は闇労働対策の意図もあって、上限630マルク(現在は325ユーロ、月額)までの「軽微雇用」者に対し課税や社会保険料の負担を軽減し、パート労働に誘導しようとするもの。今回の提案はその上限を500ユーロとし、社会保険料を一律10%に引き下げてさらに対象を拡大しようとする。個人世帯で働く家事使用人、掃除婦、ベビーシッターなどの闇労働防止による雇用拡大が狙いとされる。5)「私会社」と「家族会社」の税制面での優遇による失業者の自営業者化、さらに55歳以上の失業者および若年失業者の雇用政策などが提起されている。
 最後に企業側に向けられた施策としては「ジョブ・フローター」(Job‐Floater)構想がある。「復興信用金庫」(KfW)が税法上の優遇措置のある公債を発行して資金調達をし、失業者を雇用する企業に有利な条件で融資し、雇用創出とともに企業のインフラ整備さらには創業を計ろうとするもので、主として念頭にあるのは失業率の高い東ドイツ地域だとされている。
 さて以上が『報告』の政策提言部分の粗い紹介であるが、ブレーメン大学の経済学者ルドルフ・ヒッケル教授は、『報告』答申直後に1新聞に寄せたそれについての長文の論評を、「失業者は高い代価を払い、企業家は刺激を受け取る」というタイトルで発表している。教授は『報告』の諸提案がこれまで保持されてきた「標準労働関係の侵食」になることを懸念し、論評を次のように締め括っている。「結局、この新しい社会契約(助成するが要求もする――引用者)によって、社会国家のこれまでの諸原則は、失業者との関係および雇用関係への彼らの紹介において根本的な変化を受ける。だから最後に、失業者が直接の関係者として意見聴取され考慮されるべきである」と。
 12月に入って、連邦議会は政府が提出した労働市場、医療、年金、環境税に関する4法案を一括可決した。参議院での異論を抑えての「緊急立法」の成立であった。『報告』の諸提案は、Job-Floater制度、55歳以上の失業者と若年失業者向けの施策などを除き、そのほとんどが法的枠組みを得ることになった。いくつかの修正はあった。Mini‐Jobの上限は当面400ユーロとされた。失業手当Kについては本人と配偶者の資力調査が強化された。PSAの扱う派遣労働者の労働条件は派遣先の正規労働者との同等を原則とするが、協約による弾力化を認めるとされた。
 『ハルツ委員会報告』の諸提案の法制化・実施段階に入って、労働組合はヒッケル教授の指摘する「高い代価」への対処を重要課題として負うことになる。