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国旗 世界の労働者のたたかい
オーストリア
2003

 9月に右派連立政権が崩壊した。極右・自由党と保守・国民党が手を組んで2000年2月に発足したいわゆる「黒青連立政権」は、03年秋に予定された総選挙を待たず自壊した。崩壊の直接の引き金になったのは税制をめぐっての自由党の内紛であったが、連立の亀裂はそれ以前から始まっていた。自由党の前党首で事実上の指導者ハイダーが、チェコのテメリンに建設中の原発にからめて、それを閉鎖しなければ同国のEU加盟を認めないという請願署名活動をしたのはその1つである。オーストリアは78年の国民投票で原発廃止を決定しておりテメリン原発にも反対してきていた。しかしEUの仲介で、両国は同原発問題をEU加盟の障害にしないことを合意していた。その合意を公然と批判にさらすハイダーたちの行動に連立与党の国民党が同調するわけにはいかなかった。結局、請願行動は議会で不承認になった。
 8月、ヨーロッパで大洪水が起こり、オーストリアも大きな被害に見舞われた。その復興支援のため、政府は次年度実施予定の低所得者層向け減税の延期を決定した。これには自由党から入閣していたリースパッサー党首(副首相)ら3人も同意していた。ところがハイダーら自由党保守派はこれに反対し、党閣僚の辞任・入れ替えを要求、結局ハイダー側が勝利し、リースパッサーの党首辞任、3閣僚の辞意表明に発展した。シュッセル首相(国民党)は9月9日、連立の解消、議会解散、総選挙の意向を表明した。「自由党には現在、決断の予見性も実行力もない」とその声明は述べた。19日に議会は解散を承認し、繰上げ総選挙は11月24日実施に決定した。
 国民党42.27% 79議席(+15.36%、27議席増)、社民党36.90%69議席(+3.75%、4議席増)、自由党10.16%18議席(−16.77%、34議席減)、緑の党8.96%(+1.56%、3議席増)、その他1.17%(−2.47%)。選挙結果であるが、見られる通り自由党の惨敗であった。国民党は大幅増の第一党として組閣工作を続けているが、連立の形が定まらないまま暫定政権が年を越えて続いている。
 02年2月、黒青連立政権の2周年に当たって、「オーストリア労働総同盟」(ÖGB)は同政権の「マイナスの意味での新記録」だとして、企業倒産、租税・社会保険料の引き上げ、社会保障給付の削減、そして急激な失業者増を挙げた。そしてそれに関わる財政運営については一経済学者の評言を引いて、「ゼロ赤字がドグマに仕立て上げられた」と批判した。
 02年を通じて政治と経済のこの基調に変化は見られなかった。企業倒産はこの国でも戦後最大と言われる数に達した。失業率は6%を超え、特に若年者は平均以上であった。昨年、大学には学費が導入された(半年363ユーロ、4万円強)が、02年の大学は「大学法」の改定、特に大学の自治を奪う「大学理事会」案の強行で紛糾した。社会保障の改悪ではさらに健康保険と労災保険の統合さえ政治日程に登場している。
 労働運動には一定の変化が進んでいるように見える。公務以外の目ぼしいストとしては29年ぶりと言われるような「ストライキの春」(新聞の見出し)があった。化学労働者や空港労働者の賃上げ紛争、ポスト・バス(地方バス)の分社化反対ストなどが春から続いた。民営化に伴う収益指向の強化、企業の人減らし合理化・リストラが進む中で、組織改革、伝統的な社会パートナー制度からの脱却を掲げる組合の動きも起こっている(例えばサラリーマン組合)。

若手組合員、対前年プラス6.1% ――「オーストリア労働総同盟」の組合員動向

 ナショナルセンター「オーストリア労働総同盟」(ÖGB)は01年12月末現在、傘下13組合で組合員総数は142万1,027人、対前年では2万1,366人(1.5%)の減少、しかしその前年の2万2,771人(1.6%)より減少幅は小さくなった。「総同盟」は全体状況をこのように伝えながら、細部には次のような動きがあったことを報じている。
 組合員増の組合 ― 印刷・紙労組(DuP)9.8%(芸能・メディア・スポーツ・自由職業労組KMSfBからジャーナリストの移籍も加わって)、ホテル・飲食店・派出業労組(HGPD)と商業・運輸・交通労組(HTV)がそれぞれ0.2%、金属・繊維労組(GMT)0.3%。一方、組合員減の組合 ― 郵便・電気通信労組(GPF)5.9%、鉄道員労組(GdE)2.3%、公務労組(GÖD)2.2%。こうして特徴的だったのは公共部門である。「確かに好ましいことではない、しかし公共分野の大量の人員削減を前にしては驚くにあたらない」と担当書記は述べている。
 「総同盟」が特に喜ばしいとしているのが若年組合員の6.1%増(4万8,282人から5万1,243人へ)である。「若い人たちは問題をはっきりと認め、働き口を見つけることの、難しさ、訓練分野の悪化を肌身で感じている」。「(若手)組合員増は、ÖGBとその労組組合が魅力あるものであるということ、彼らが組合代表の利点を評価できることの最良の証明である」。報告はこのように言う。
 報告はさらに、組合員増は「ÖGB―お前を鍛えよ」のスローガンで取り組んだ募集活動の成果であること、また前年、80万7,000人以上の組合員が政府の労働者敵視政策に抗議し参加した「全員投票」(本報告第8集参照)が労働組合の威信を強く印象づけたことを指摘している。

派遣労働者に初の労働協約合意

 派遣労働者の権利の法制化はEU全体としても懸案となっており、欧州委員会(内閣に相当)と欧州議会で年内に審議の第1段階を終えたところであるが、この動きに先んじてオーストリアでは02年1月15日に初の労働協約が合意に達し公表された。施行期日は3月1日。EU加盟国ではオランダに次いで2番目の実施となった。
 協約は労使および政府代表で構成される社会パートナー機構の5年越しの交渉の成果であり、ÖGBと他組合に代わって協約化の労働側の推進当事者となったのは「金属・繊維労組」であった。合意した協約は派遣先企業での賃金差別を禁止する。したがってそこでの正規労働者とほぼ同じ賃金を得ることができる。実際の適用方法としては熟練等級別に最低賃金を6つに分けて行われる。最低位は月額で1,043.75ユーロ(約13万7,000円)、時給で6.25ユーロ(約820円)、最上位(技術者)では1,990.64ユーロ(約26万円)となる。
 協約合意の発表にあたってÖGBのフェアツェトニッチュ議長は、「派遣労働者に対するこの初めての団体協約は、労働世界の転換が安全性と予測可能性を伴って可能であることを示す」、それはこの分野の労働者・職員に対する権利基盤のいっそうの発展のための礎石である、と述べ、さらに、「オーストリアの社会パートナーはこの団体協約によって、ヨーロッパレベルでの今後の発展のための模範をつくり出した」と語った。

ポストバスの労働者、政府の民営化計画に抗議して2度のストライキ

 企業を売却し、さらにその一部を別会社に払い下げようとする政府の収益偏重の民営化策動に抗議して、ポストバスの労働者3,000人が2度のストライキを行った。創業95周年を迎えたこのバスは大きな転機に立たされている。
 5月14日に連立政府は次の閣議決定を行った。ポストバス株式会社をオーストリア連邦鉄道(ÖBB)と合併する、合併後早急にその3分の1をさらに別の民間バス会社に売り渡す、と。ポストバスの労働者は閣議決定の後半部分を重大視した。「われわれの受け入れることのできないのは、企業の儲けになる部分の細切れにした安売りである」と、事業所委員会代表は批判した。
 ところでポストバス株式会社と書いたが同社は純然たる民間の株式会社ではない。現状は公共企業体であり、従業員の72%はなお公務員である。それは次のような経過による。オーストリアの国営企業の民営化は1970年の政府出資100%の産業管理会社の設立によって着手され、85年の同社のオーストリア産業持ち株会社(ÖIAG)への改組によって本格化する。郵政事業についてこれを見ると、96年にÖIAGは100%の株式を保有する形でそれを傘下に納め、98年から2000年にかけて業務を1)電信事業、2)郵政・金融取り扱い、3)ポストバスの3部門に分割する。次いでÖIAGは電信事業を担うオーストリア・テレコムの株式の52.8%をテレコム・イタリアや民間に売却する。今回のポストバスの売却は電信事業のケースの続行であった。郵政業務の民営化について付言すれば、それは郵便局閉鎖の強行として現れている。「採算がとれない」ことを名目にしてこれまでに全国で3分の1に近い郵便局が閉鎖されてきた。
 オーストリア連邦鉄道(ÖBB)も民営化の強い圧力を受けている。ÖBB所有の発電所、不動産、清掃部門、修理工場その他の技術部門などが分割民営化を迫られる状況にある。EU圏の鉄道網が03年3月15日を機として完全自由化されるという外的契機も加わっている。
 さて本題に戻って、現在のオーストリアの公営路線バスにはポストバス(Postbus)と鉄道バス(Bahnbus)の2つがある。後者はÖBBの直営である。事業規模ではポストバスの運行バスが1,600台、鉄道バスはその約半数と言われている。2つの路線バスの統合問題は25年来の懸案となってきたものであったが、今回はそれが閣議決定による強制となった。主管はライヒホルト社会基盤相(自由党、9月政変で辞任、その直後に党首に選ばれたが数週間で辞任)であった。
 ポストバスの事業所委員会(ポスト・電気通信従業員労組の支部に当たる)は社会的枠組み条件が守られ法的基礎がつくられるのであれば、ÖBBとの合併それ自体には反対でないとした。しかし合併後に想定されている新会社の16の地域会社への分割と人材・財産管理会社の設立、とくに事業の3分の1の民間会社への転売には断固反対であった。事業所委員会は5月22日にシュッセル首相に対し公開質問状を送るとともに、「万一の場合」に備えて1週間に警告ストを行うと宣言した。
 5月29日、第1回のストライキが敢行された。90年ぶりのストであったが、1,600台のバスがガレージに入ったままとなり、50万人の主として通勤・通学の足止めとなった。臨時休校も生じた。この日、社会基盤相とポスト労組、事業所委員会の両委員長との会見がもたれたが物別れに終わった。組合側は交渉期間中の閣議決定の停止を要求したが、大臣はこれを拒否、別れ際の握手さえ受けなかった。
 6月7日から事業所委員会は署名活動を始めた。「ポストバスがなくなればオーストリアの700の自治体で公営交通の便がなくなる。民間企業はこれら自治体への多くの路線をコストを理由に廃止するか、あるいは運賃を極端に引き上げるだろう」。委員長は署名活動の理由をこのように述べた。またビラ配りも始めた。バスの運転席から乗客に手渡された。「政府は頑迷だ。ポストバスの破滅に固執している」として4つを訴えた。「儲けのあるポストバス路線が売られる!」「残り廃止で脅かされる!」「公営交通が破壊される!」「そのツケは納税者に回される!」。
 6月14日には総同盟フェアチェトニッチュ議長が事業所委員会の会議に出席し、ポストバス争議への連帯を表明した。これからも組合の闘争手段がとられるかもしれないが、それは乗客、企業、いわんや職場に向けてのものではない、「向けられるのはこの企業を『より多く民間、より少なく国家』のタイトルのもとで破壊しようとする党利党略に対してだ。そのことの責任は明らかにグラッサーとライヒホルトの両大臣にある」。議長はこのように挨拶した。
 6月25・26の両日、2度目のストライキ、「48時間スト」が展開された。5月29日の場合には会社側の事前対応を避けるため日時を明かさないストが組まれたが、今回は予告ストであった。会社側は補充バスの対応をし、20%の運行をカバーしたと述べた。会社側は今回のストは「利害政策的に」動機づけられた本来の労使間の紛争ではなく、将来のバス事業の所有者関係の問題であり、事態先鋭化の責任は政府と組合にあるとした。従業員のうち職員部分については3日間の賃金カット、公務員部分については3日目から賃金カットが決められた。なお両日は議会前広場で連帯集会が行われた。
 9月6日、ÖBBがポストバス会社を買収する合意が成立した。ÖBBは1億1,600万ユーロ(約152億円)でÖIAG管理下のポストバス株式会社を買収することとし、その正式発効はカルテル裁判所の承認があってのちと決められた。紛争の最大焦点となった路線3分の1の再転売の問題は、閣議決定では買収同意の前提になっていたが、今回の合意ではそれにふれず、カルテル裁判所の判定をまっての協議に預けられた。
 ÖBBによれば、合同によって並行路線の500万キロ( 全体の3.9%)が節減、さらに管理と立地の統合の面で協力効果が上がるとされた。
 ところでÖBBとポストバス会社の合意は奇しくも右派連立政権崩壊(前述参照)3日前のことであった。民営化がらみの公営バス事業統合問題は、政変の渦中で年を越すこととなった。

過度の残業とリストラ計画に反対した鉄道員スト

 10月11日(金)から週明けの10月16日(水)にかけて機関士を中心としたストが行われ、ウィーン管内を中心に大幅にダイヤが乱れた。背景は過大な残業実態と政府・経営陣によるリストラ計画であった。「経営陣は従業員をどうしたらさらに搾ることができるかに頭を痛めるのではなくて、ヨーロッパ規模の競争でのOBB( オーストリア連邦鉄道)の将来に対する具体的なパースペクティブを発展させるべきだ」。鉄道員労組(GdE)のハーバーツェルト委員長はこのように訴えた。03年3月15日に予定されたEU圏鉄道網の自由化計画(前述)、あるいは鉄道員の労働条件についてのEUの「指令」に対する政府・経営陣の対応の遅れへの不満が、組合要求のさらに背後に存在していた。
 リストラ計画としては、前述した郵政事業の場合と同じように、ÖBBをオーストリア産業持ち株会社(ÖIAG)の管理下に入れ、事業をいくつかの部門に分社化する計画がある。組合によればこの計画には従業員4万7,000人中7,000人の削減が含まれるとされる。同じく組合によれば、この計画は折りからの政変という「幸運な摂理」によって先送り状態だが警戒は怠れないと。
 「長い間われわれは、ÖBBの広い分野での、とくに機関士と列車乗務員における人手不足について、そして鉄道員によってなされたが消化されなかった数百万時間の残業と、数万日の有給休暇について知っている‥‥鉄道員は11年このかた約4,000人の職場と同等の残業をしている」。組合によれば、機関士の残業は月に30〜40時間、週に15時間以上になることもあるとされた。過労の問題であるばかりでなく鉄道の安全性の危機だと組合は訴える。
 ストは6月11日から警告ストとして実施され翌週に続いた。その間に13・14の両日労使交渉が組まれたが短時間で物別れとなった。「交通大臣殿、あと150日、社会保障の穴あきが迫っています」、「これまでの任期中にライヒホルト(交通相)は散々ÖBBの日常業務に介入した。しかしいま彼はÖBB首脳部の背後に隠れている」。組合の交通相(自由党)への批判であるが、150日というのは前述の03年3月15日のEUの動きと「指令」(例えば残業の上限は週8時間)を対比しての皮肉であった。
 14日(月)からは車掌、付設工場の労働者、窓口業務者も参加してストは16日まで繰り返された。毎日80本から100本の列車に運休や遅れが出た。特にウィーン発の遠距離急行に影響が出た。
 16日の夜、争議は妥結をみた。経営の組織変更については「社会的対話に基づいて」実施されることが合意された。残業の削減のため、組合は機関士についての訓練割当人数の増員(現在の年間180人を250人に)と訓練修了者の残留を要求し、使用者側は訓練成果の考慮のもとで可及的に多くの者の受け入れを約束した。

「印刷・ジャーナリズム・紙労組」(DJP)、創立160周年を祝う

 各国の労働運動史をふり返ると、その創成期の代表として登場する労働組合が印刷労働者のそれであることに気づかされる。オーストリアの場合もそうである。この国最古のこの組合の創立160周年の祝典が10月19日ウィーンで盛大に行われた。
 植字工、印刷工、活字鋳造工が、オーストリア労働組合運動の先駆となった「罹病印刷工・活字鋳造工互助組合」を創立したのは1842年8月1日であった。この組合はまたすでに1848年に最初の団体協約を締結した協約交渉の先駆にも数えられている。
 10月19日夜、「工芸博物館」での記念祝典には多数のメディア関係者が招かれた。組合トップとともにこの組合の社会パートナー的伝統もあって使用者団体の代表の出席もあった。「労働組合活動は社会連帯の一部、創造的な活動である。そしてわれわれはつねに創造的であった」とDJP本部書記長が開会あいさつをした。祝典行事として作家のエルンスト・ヒンターベルガーが最新作『別離』の一節を朗読し、加えてついに総選挙となった(11月24日)この2年半の政治状況が、「作家のファンタジーをはるかに超える」ものであったと皮肉った。
 集会ではかって組合メンバーであった元閣僚、学者、現グラーツ市長などが組合の思い出を語った後、ビットナー委員長が組合の現状について発言した。一方に政治的な迫害や検閲があり、他方に一連の職務を簡単に消滅させる技術的変化にさらされる組合の平坦でない現状での、組合員の自覚的な活動を彼は報告した。ÖGBフェアツェトニッチュ議長は「誕生を祝われる人」であるDJPの先駆者としての役割を強調した。労働者と他の階級との政治的権利の完全な平等の要求がすでに1848年に掲げられたこと、あるいは最近の過去における新技術の導入を規制する団体協約の場合を例に、「この組合はつねに自負を明らかにしてきた」と彼は挨拶した。

建設・木工労働者、スイスの建設労働者ストに連帯を表明

 スイスの建設労働者の55年ぶりのストライキ行動(本報告スイスの項を参照)に連帯する声明が、11月4日、総同盟副議長を兼ねる建設・木工労組のヨハン・ドリーマー委員長名で発表された。
 スイスの建設労働者はすでに協約的に合意された建設業における年金受給年齢繰上げの実施のためにたたかっている。このストライキはスイスの建設業者連盟が自ら署名し批准した繰上げ年金の基準価値に関する協約を守らなかったために必要となった。声明はこのように述べ、スイスのたたかいは自分たちにとっても「他山の石」であるとし、次のように指摘した。オーストリアの社会パートナー制はなお機能しているが、同時に警戒しなければならないのは、福祉減らしの傾向が特に現在の政府によって鼓舞されて、オーストリアでも強まっているのが認められることである。「将来必要とあれば、われわれも紛争をいとうものではない」と。
 ドリーマーは最後に次のように訴えた。「国際的に振舞う資本に対しては、われわれ男女被用者は強化された国際連帯と労働組合の協働を対置しなければならない」。