全労連 TOPへ戻る BACK
国旗 世界の労働者のたたかい
インドネシア
2005

総選挙と大統領選挙の結果

<総選挙 ― 与党が第2党に後退>
 インドネシアの総選挙が2004年4月5日に行われた(定数550議席。有権者1億4800万人、投票率84%、有効投票数1億1350万人)。
 5月5日に確定した開票結果によれば、メガワティ大統領の与党である闘争民主党が前回1999年総選挙で獲得した得票率(33.7%)を大幅に減らして18.53%にとどまり、第2党に後退した。旧スハルト独裁体制下の翼賛組織の流れを汲むゴルカル党が第1党となったが、今回の得票率21.58%で前回(22.5%)の水準をほぼ維持したにとどまった。他の有力政党も、国民覚せい党10.57%、開発統一党8.15%、国民信託党6.44%などと、前回より得票率を減らした。
 これとは対照的に、今回初めて立った民主党が、メガワティ政権の閣僚を04年3月に辞任したスシロ・バンバン・ユドヨノ前政治・治安担当調整相の大統領候補擁立を決めて急速に支持を拡大し、得票率7.45%、57議席を獲得して第4党に躍り出た。また、イスラム国家実現を基本路線として、政教分離主義を掲げる他のイスラム政党と一線を画している福祉正義党が、選挙中は汚職腐敗を批判しクリーンなイメージを浸透させて、前回1.4%から今回7.34%へと得票率を大幅に伸ばし、7議席から45議席に躍進した。これら両党は都市部で大きく前進した。たとえば首都ジャカルタでは、福祉正義党が第1党、民主党が第2党の地位を占め、第1党だった闘争民主党が第3党となるなど政党間の力関係が大きく変動した(別表参照)。

インドネシア総選挙結果(主要政党のみ)
政 党 名
2004年
1999年
ゴルカル党
128(21.58%)
120(22.5%)
闘争民主党
109(18.53%)
153(33.7%)
開発統一党
58( 8.15%)
58(10.7%)
民主党
57( 7.45%)
国民覚せい党
52(10.57%)
51(12.7%)
国民信託党
52( 6.44%)
34( 7.2%)
福祉正義党
45( 7.34%)
7( 1.4%)
(総議席数550、カッコ内は得票率)

<史上初の直接選挙による大統領選挙 ― 現職メガワティ氏に大差でユドヨノ氏が圧勝>
 インドネシアの歴史上初の直接選挙による大統領選挙は、7月5日の投票で投票数・得票率第1位のユドヨノ氏と第2位のメガワティ氏との上位2候補による決選投票が9月20日に実施された結果、ユドヨノ氏が得票率60.62%(確定数字)で現職大統領のメガワティ氏(同39.38%)に大差をつけて圧勝した。
 4月の総選挙とそれに続くこの大統領直接選挙の結果は、「変化と改革の推進」を強く望む国民の気分を反映したものと見られている。
 99年の前回総選挙で有権者は、旧スハルト独裁政治の民主的な変革を求めてメガワティ氏の闘争民主党を第1党に選んだ。メガワティ氏は2001年7月、ワヒド大統領が不正資金疑惑などを理由に解任されたため副大統領から大統領に就任。インドネシア“独立の父”といわれた故スカルノ初代大統領の長女でもあり、スハルト政権下で抑圧されてきたメガワティ氏に、国民は民主的改革への期待をかけた。
 メガワティ大統領は、外交面では、イラク戦争や米国の単独行動主義に反対し、国連中心に国際紛争を平和的に多国間で解決する立場をとり、非同盟外交をすすめた。しかし内政面では、官僚機構の汚職・腐敗や縁故政治のまん延など旧スハルト政権時代から承け継がれてきた悪弊に抜本的な浄化のメスが入れられず、国際通貨基金(IMF)が押しつけた「経済構造改革計画」にもとづく緊縮財政と民営化、石油や公共料金の値上げなどで庶民の生活は悪化した。特に、メガワティ大統領敗北の一因とされたのは「構造改革」―リストラによる高失業とこれにたいする雇用対策の遅れで、中央統計局の公式発表によっても、03年の完全失業者数は約953万人で前年から4.4%増加。完全失業率は9.5%で前年から0.4ポイント上昇した。しかも実際には失業・半失業状態の労働者は3500万人とみなされている。さらに、アチェ問題の泥沼化、バリやジャカルタでの爆弾テロなど治安の悪化も、メガワティ氏への庶民の不信を大きくした。
 これにたいして、ユドヨノ氏は、「テロや汚職とたたかい、停滞した経済を活性化して雇用を増やす」と強調して「変化への選択」を訴え、国民の現状への不満を吸収することに成功した。
 今回の大統領直接選挙は、98年5月のスハルト独裁体制崩壊後にすすめられてきた政治制度の一連の民主化過程の総仕上げとして注目された。この選挙が、大きな衝突もなく平和的に実施され、民主的選挙による政権交代を実現したことは、民主主義が国民の中でも定着しつつあることを示した。
 04年10月20日、国民協議会でスシロ・バンバン・ユドヨノ新大統領の就任宣誓式がおこなわれた。このあとユドヨノ大統領は、大統領府でテレビを通じ国民向けの政治演説をおこなった。
 新大統領は演説の中で、経済を活性化させ経済成長を促すとともに貧困や汚職・腐敗、テロの根絶、アチェや西パプアでの分離・独立をめぐる紛争の解決に全力を尽くすと述べた。ユドヨノ氏は政策の詳細には触れなかったが、「今は楽観的な喜びの雰囲気に包まれているが、われわれは今後、困難な時代に立ち向かい、経済での重い挑戦に直面しなければならない。討論や約束の時は終わった。行動する時だ」と、国民に厳しい現実を訴えた。
 ユドヨノ氏は軍人出身で、旧スハルト体制とのかかわりも懸念されている。同氏は国軍士官学校卒、国軍のジャカルタ軍管区参謀長やボスニアでの国連停戦監視部隊の指揮官を務め、ワヒド、メガワティ両政権で政治・治安担当調整相を歴任した。この点に関連して、インドネシア福祉労組連盟(K-SBSI)のレクソン・シラバン議長は次のように指摘している。
 「ユドヨノ氏は軍人として旧スハルト体制にかかわりました。彼が大統領になれば、スハルト時代とはまったく同じではないが、よく似た政治システムを導入するかもしれません。国民のなかには、こうした点に危ぐを抱いている人が少なくありません」(しんぶん赤旗04月8月5日)。
 こうした懸念があるだけに、スハルト時代から今日に至る国軍の政治への深い関与の問題も含めた国軍改革や、人権擁護、民主化の問題で、ユドヨノ新大統領がどのような対応を示すかも注目される。
 なお、副大統領には、旧スハルト政権与党ゴルカル党員で実業家のユスフ・カラ前公共福祉担当調整相が就任した。

<ファフミ新労働・移住相が「100日間プログラム」を発表>
 ユドヨノ大統領が率いる新内閣が04年10月21日発足し、労働・移住相にはファフミ・イドリス氏が就任した。同氏はハビビ政権でも労働・移住相を務め、04年9月までゴルカル党の副議長だった。
 ファフミ労働・移住相は就任早々の10月21日、労働分野での「100日間プログラム」を発表し、その柱として、(1)レバラン(断食明け祭日期間)手当の適時支給、(2)大量解雇の回避、(3)外国への移住労働者の保護のための関連省庁による対策委員会の設置、の3点を明らかにした。

04年1月から最低賃金引き上げ − ジャカルタ6.3%、西ジャワ州10〜14%など

 インドネシアで2004年1月1日から、各州・県の月額最低賃金が引き上げられた。ジャカルタ特別州の新最賃額は03年の額から6.3%引き上げ、東ジャワ州では平均9%、中部ジャワで平均8%、西ジャワ州では10〜14%引き上げられた。
 最低賃金額の決定は、03年10月から12月にかけての各地域の政労使の三者協議機関による決定を受けたものであるが、労組側からは依然として、引き上げ幅の低さに不満が表明されている。
 最賃額決定の交渉が難航したバタム島では、労組と市が提案した21%引き上げと経営者側の7%という数字に大きな隔たりがあり、最終決定は12月15日までずれ込んだ。実際の決定額は経営者側の提示した7%をやや上回ったものの、労働者側の要求水準を大幅に下回ったものとなった。
 インドネシアの地域最賃の額は、毎年算出された最低必要生計費(KHM)を基準として協議決定される。労働者側は、最低必要生計費(KHM)と同水準まで最賃額を引き上げるよう要求しているが、実際の最賃額が最低必要生計費に達しない場合も多い。バタム市で行われた三者協議では、2004年の最低必要生計費を67万6560ルピアとすることで合意したが、最終的に決定された新しい最賃額は、この最低必要生計費の89%しか満たさないものとなった。
 各労働組合はそれぞれ独自の調査に基づいて最低必要生計費を算出しているが、賃金審査会の算出額と比べて大きな開きがあるのが実情である。たとえば、ジャカルタの賃金審査会の調査結果によれば、最低必要生計費は69万9713ルピアとされたが、全インドネシア労働組合連合(SPSI)の調査では、独身者の場合でさえ83万3585ルピア、子ども3人の扶養者の場合には139万9333ルピアに上るとしている。

国営航空機製造企業のリストラ反対闘争が長期化 ― 高裁で解雇違法判決

 国営航空機製造企業ディルガンタラ・インドネシア社(DI、本社は西ジャワ州バンドン)で2003年7月以来長期にたたかわれてきたリストラ大量解雇反対の労働争議について、04年1月29日に中央労働委員会(P4P)の判決が、2月18日にはバンドン地方裁判所の判決が、さらに2月25日にはジャカルタ州高等裁判所の判決が下されたが、中労委と裁判所の判決は逆の立場を取るものとなり、経営側が最高裁に持ち込むなど、争議はいっそう長期化した。
 1月29日付けの中央労働委員会の判決文によれば、DI社の全従業員9350人のうち、6651人を解雇し、会社側は解雇者にたいして、労働者保護に関する03年労働・移住相通達第13号の規定にある解雇・退職手当等の額の2倍を支給し、さらに03年の年次休暇と住宅手当、賞与、03年7月から支給が停止されている給与の支払いが命じられた。
 これに対してDI労組側は強く反発し、DI社の経営悪化は経営者側の不透明な経営や汚職、非効率な生産計画によるもので、労働者に責任はなく、このような形で大量解雇が認められたことはきわめて不満であるとし、最高裁にまで上訴する構えであることを表明した。
 一方、2月18日に出されたバンドン地方裁判所の判決は、DI社の6000人以上の大量解雇がバンドン地域に社会的・経済的に大きな影響を与えることが予想されるとともに、03年8月に行われた解雇に関する経営側の協議が、通例の5人の経営代表者からなる協議の場で決められたのではなく、2名が欠席し、3人の代表者だけによる協議で決定した点が問題であり、したがってこの解雇は違法であるとしたもので、労組側の主張に有利な判決であった。さらに判決文では、DI社の経営者側に、経営危機を解決するための合同再生機構を設立し、その設立メンバーにはインドネシア銀行再生機構(IBRA)と労働組合、国営企業担当国務大臣などを参加させることを命じている。
 中労委とバンドン地裁の判決が発表された後の2月24日には、DI社に解雇された数千人の労働者がバンドンの同社工場前でデモをおこない、地方裁の判決によっても解雇は違法であるとして解雇者の再雇用を強く要求した。
 2月25日には、ジャカルタ州高等裁所が、DI社の解雇は違法であり、同社の経営側は解雇者を再雇用し、未払いの給与等を従業員に支払うことを命じた判決を下した。
 この判決を受けてDI労組のハディノ副代表は、8ヵ月間たたかってきた苦労が報われ、法律が労働者のためにあることを初めて実感できた、とのコメントを発表した。しかし一方、DI社の経営側は、この判決を不服として最高裁に持ち込むことを明らかにし、争議の解決はさらに先延ばしされることになった。

労使紛争解決法案が国会で可決成立 ― 紛争解決の迅速化めざす

 2003年12月16日、労使紛争解決法案が国会本会議で可決成立した。同法案は、スハルト独裁体制崩壊後の民主化の過程で制定をめざされてきた労働関連3法のなかで最後の課題となっていたもので、3年間の議論の末、ようやく成立した。ちなみに労働関連3法とは、2000年7月成立の労働組合法、03年2月成立の労働者保護法、および今回の労使紛争解決法である。
 同法では、従来労使紛争の解決を仲介していた地方および中央労使紛争解決委員会(それぞれP4D、P4P)に代わって、労使紛争の処理はすべて新設される各州の労働裁判所を介しておこなわれることになる。
 労使紛争が起きた際には、

  1. 労働者または労働組合と企業との間での話し合いを行い、30日以内の解決を図る、
  2. (1)で解決しなかった場合は、仲介者を介しての協議を30日以内に行う、
  3. 調停によって最長44日以内の解決を図る、
  4. (3)で解決に至らず、どちらかが裁定に従わなかった場合、もう一方が労働裁判所に提訴を行う、
  5. 地方の労働裁判所での一審は50日以内の裁定、
  6. 最高裁判所での2審は30日以内に裁定が下される。

 以上のような仕組みにより、早ければ紛争の発生から6ヵ月程度で解決されるようになる。従来の制度のもとでは、紛争の解決までに5年〜10年もかかることもあった。このように、新法では労使紛争の迅速な解決をめざしている。(小森良夫)